2026年9月のこと

 予定日まであと1か月ほどとなったので、産前の仕事は一区切りとし、やすみに入ることにした。とはいえ会社員ではないので収入がゼロになってしまうのが心もとない。前の会社を辞めなければ産休・育休の期間も手当がもらえたのになあ、給料の5~6割ももらえるのかあ、などといまさら考えてしまう。

 お金のことを考えると不安がよぎる。働いた分の報酬が振り込まれてきたのだが、わかっていたことだけれど前職よりだいぶ少ない。前職での給料は、年代の平均などと比べると多いほうだったので、辞めて未経験の業種・職種に移れば収入がぐっと減ることはわかっていたし、1年くらいのシミュレーションもいちおうした。だけど収入が減ったことを改めて突きつけられ、思っていたよりショックというか、これから先への不安というか、考えさせられるところがある。お金持ちになりたいわけでもないし、そこそこに生きていけるくらい稼げればいいや、とは思っているものの、校正はじめたてほやほやでもらえる報酬は、そこそこに生きていけるほど高くはないらしい。それをやっと実感したかんじ。そこそこに、が何を指しているのか自分でもはっきりとはわかっていないけれど、美術館に行ったり、好きな服を買ったり、ハードカバーの本を買ったり、季節のものを食べたり、みたいなことも含まれているのだと思う。経験を積んだり交渉したり仕事をもらう先を変えてみたり、これから収入を上げていくこともできるはずだが、ほんとうに上がるのかな、上げるようにやっていけるのかなあ、と漠然とおもう。

 とはいえ、急にぐっと増えることはないだろうし、産後もしばらくは同じくらいの収入で働くとなると、生活を変えなければいけないだろうか。わたしが“そこそこ”に含んでいる、好きな服を買うとか、美術館に頻繁に行くとか、ふと図録も買っちゃうとかも、贅沢に含まれる気がしてくる。そもそも子どもが産まれたら自分にかける時間がなくなりかけるお金も減るだろうから、あんまり気にしなくてもいいのかもしれないけれど……。

 また夫もいるため、それほどわたしの稼ぎが増えなかったとしても、生きていけるとは思う。ただ、金銭面で寄りかかるのがなんか嫌というか、なにかあってもひとりで生きていける水準でいたいというか、じゃあいっか、と受け入れられない自分もいる。もちろん、子どもも生まれるしずっと家族として生きていく気はあるのだけれど、個人として自立している状態というのは保っていたい、のだと思う。

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 さいきん、服への欲が高まっている。気候が秋めいてきたし、服のブランドはAWの商品を本格的に売り出しているし。ただ、今はおなかが大きくて着られないものが多いし、産後はまともに出かけることも減るだろうし、すこし我慢したいところではある。SNSでの宣伝におどらされているだけかもしれないが、シーズンが変わると流行が知りたくなり、あたらしい服がほしくなる。

 これまで、こういう風になりたい見られたい、というイメージがあって服や髪型やメイクを選んできた。と思う。今は、これからのなりたい姿が描けていなくて、流行のファッションに自分を規定してほしくなり、服がほしいという欲望が大きくなっているような気もする。だいたい、ここ半年くらいで体型も生活も大きく変わってしまって、そこについていくので精一杯で、どうなりたいかは置いてきぼりだった。さらに今後の生活もあんまり見通せていなくて、周りにロールモデルとなりそうな人もいなくて、これからなりたい姿を思い描くのもたいへんだ。

 振り返ると、高校生のころは森ガールになりたくてベレー帽とかかぶっていて、大学1~2年生のころは青文字系にあこがれて古着をよく着ていて、3~4年生でおとなっぽいかんじになりたくなってシンプルな服装に傾いて、社会人になってからもかっこいいかんじになりたいのが続いてハンサムショートにしたりしていた。写真を見返すと、チノパンに柄シャツをあわせているすがたなど、身長も高くないから少年みたいになっているのもあっておもしろい。いわゆるバリキャリみたいなイメージのかっこよさじゃなくて、ボーイッシュなかっこよさが好きだった。そのあとは、もう少しおとなっぽくてかっこいいかんじになりたくて、カジュアルなかんじも好きで……となりつつ今に至る。

 前の会社ではたらいているときは、身近な先輩たちのなかに、こんなふうになりたいというロールモデルを探していて、このひとのこんなところと、あのひとのこういうところを取り入れて……みたいなことをふわっと考えていたような気がする。ざっくりまとめると、しなやかで強いかんじ。今も方向性は変わっていないけれど、働き方が変わり、母親という属性が増え、これからわたしはどうなっていきたいのだろう、というのが霧のなか。なんとなく、それを先に考えたら、どんな服を着たいかも定まってきて、漠然と服がほしいという状態も解消されてくる気がする。来週、産前さいごの美容室に行く予定なのだが、どういう髪型にしたいのかもよくイメージできていないので、その前にゆっくり考えたいところである。

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 先月は母のことを書いたが、結局あれから連絡がきていない。いまさらこちらには来ないだろうが、産後に手伝いにくる話はどうするつもりなのか。急に来られても困るし、話しておくべきなのはわかっているが、寝た子を起こしたくない、いや、角が立たないように話したり断ったりするのがめんどうで、こちらからわざわざ連絡したくない。

 義両親からはわざわざ、母子の体調を気にかけていること、誕生を楽しみにしていること、約束なしで会いに行くことは絶対にないこと、ふたりのペースで連絡をもらえたら会いに行くことなんかがメッセージで送られてきて、その気遣いに感動したというのに、なんたる違いか。誕生日プレゼントとしてお肉を送ってくれたり、季節の果物を送ってくれたり、出産祝いは何がいいか聞いて送ってくれたり、ほんとうにいいひとたちなのである。

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 今月の写真は土用干ししたあとの梅干し。ことしは時間があったので久しぶり(大学生のころに梅酒を漬けて以来だから、10年以上ぶりだ)に梅仕事をしてみた。梅干しははじめて作ったので、食べるのがたのしみ。

 

2026年8月のこと

 現在妊娠32週。とうとう9か月に入り、いよいよ近づいてきたなと思う。8か月に入ったあたりから急におなかが重くなり、しんどさが増してきたような気がする。あとむくみがひどい。外に出かけて家に帰ってくると足がぱんぱんで、特に足首のまわりがびっくりするほど太くなっている。マッサージしたくてもおなかがつかえて苦しいので、着圧ソックスを履いたり夫にマッサージを頼んだりしている。

 前回は仕事をはじめるぞ、ということを書いたが、今は始めて1か月が経ち、少し慣れてきたかなというところ。今のところはカタログとか雑誌とか企業のIR関連とか、商業印刷ばかりやっている。つぶしがきくだろうし、いろんな方向性の案件をやってみるというのは悪いことではないだろうが、いずれは1冊の書籍にどっぷり向き合うような仕事をしてみたい。

 また、言われた案件をこなしているつもりだが、思っていた通りアドバイスやフィードバックは特にないため、やり方はこれでいいのかとか、スピード感は想定通りなのかとかがよくわからない。あまりにもひどかったり遅かったりしたらさすがに言われる、もしくは仕事がこなくなるだろうし、とりあえずは大丈夫だと信じたい。ほかの人の赤字が入ったゲラを見る機会もときどきあり、疑問出しなど、伝わりやすそうな言い回しやよく見る書き方など、こっそり勉強させてもらっている。残業もなく、ほかの人と調整や交渉をすることもなく、よく言えば落ちついた、わるく言えば平坦な日々をすごしている。

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 落ちついた日々なのだが、母へのもやもやが溜まるできごとがあったので、吐き出しておく。

 母と仲がわるいというわけではないのだが、めちゃくちゃ仲がいいわけでもなく、さいきんは会うたびに疲れるのでなるべく会いたくない、というかんじ。そんな中、帰ってくる予定はあるのか、こちらから会いに行ったほうがいいか、という旨のメッセージがきた。メッセージのあとには電話も入っていたのだが仕事中で気づけず、家に帰ってから折り返そうと考えていた。帰ると夫に電話があったという。メッセージの内容を電話で話したいのかと思っていたが、別件ですこし急ぎの用事があり夫に連絡がいったそうだ。とはいえ夜まで折り返しを待てないほどのことでもなく、夫に応対させるのも申し訳なく、その内容もわたしにメッセージしてくれればいいのに、そしたらはやめに折り返したのに、と思う。

 お盆は実家に帰るか、働けるうちは働いておきたいしやめておくか考えてはいたが、お盆前には特に連絡がなかったので、催促もないならいいかと帰っていなかった。メッセージに対して、帰る予定はないしこなくて大丈夫と返事をしたら、9月くらいに行こうと思っているが忙しいかと返ってきてげんなりする。身体のしんどさのせいにして、1日中出かけて観光するのは難しいよ、それでもよければ、と返してみたら、会って話ができればいいよと言う。正直、それがいちばん疲れるんだけどな……。自分たちでは新幹線もとれないし電車の乗り換えもわからない人たちだから、迎えに行ったりごはんを食べる場所を決めたりするのはこちらでしなくてはいけないし、話をするといっても母の話をただただ聞くだけになるだろうし、わたしたちが決めたことや考えていることを聞かれて答えても意に沿わなければ否定してくるだろうし、観光もしなければそんな話をするだけの時間が増えて苦痛だろうし。話をしたいなら電話でもいいのでは、せっかく来るなら産後にしたら、と返事をしたら返ってこなくなった。

 次の日、また夫に電話がある。別件の話に加えて、冷たい言いかたをされてショックで返事ができなかった、などということを話されたそうだ。会うかどうかはわたしとしている話なのに、なんで夫にそういうことを言うのか、夫を板挟みにするなとイライラが募る。緊急でもない用事で夫に電話するなと言おうかと思ったが、夫が嫌がっているのではないというニュアンスをうまく伝えられる自信がなく、夫も対応するのは苦ではないよと言ってくれるのに甘えて、言うのはやめた。

 メッセージがきてからというもの、会うことになるかもしれないし、夫に迷惑をかけてしまい申し訳ないし、気が重くて読書をしてみてもこのことばかり考えてしまう。妊娠していなければひとりで顔を見せに帰るだけでよかったのにな、などとくよくよしたり、疲れるから来るな、夫に連絡するな、と言えばいいのか?とイライラしたり、していた。ときには、今はわたしが穏やかに過ごすことが第一優先じゃないのかよ、なんて思ったりもした。気が重くなるだけだから深く考えたくなかったけれど、考えてどうにかしないと夫に迷惑がかかってしまう。たとえば仕事の悩みだったら、家では考えないようにしたっていいから楽なのに。

 そして、また次の日も電話があったとのこと。今度は、産後こちらにきて1週間ほど滞在して手伝おうと考えている、こういう話も直接したいから会いたいのだ、というようなことを言われたそうだ。無理すぎる。マジで最悪。産後の不安定な時期に母と生活をともにすることを考えると、くらくらした。手伝うつもりなのはわかるが、余計に疲れそうなのでほんとうにやめてほしい。育児にも生活にも、やり方が違うなどと口を出してくるだろうし、反論しても意見を変えないだろうし、わたしの生活や出産や育児に口を出されたくない。ほうっておいてほしい。また、夫に電話で言えるならわたしに電話で言えばいいのに、とも思う。

 で、このあとわたしにも夫にも連絡がなく、解決していないまま放置している。こちらから電話をかけて直接話したらすっきりするのだろうが、メッセージはわたしで終わっているし、むこうはそれを消化中なのかなと思うし、などと理由をつけて先送りにしている。ChatGPTに話を聞いてもらったり、日記をつけたり、母から連絡がきたらこれを言うぞ、と決めたりすることで、とりあえず自分のきもちは落ちついている。こんなことならお盆に帰っておけばよかった。

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 母となぜこうなってしまったのか。話を聞いてもらって相談できる関係にどうしてなれなかったのだろう。イライラしてしまう裏に、いい関係を築けなかったかなしみがある。こう言ったら拗ねるかな、不機嫌になられても面倒だしな、どうせこちらの意見は尊重してくれないだろうしな、なんて思いたくない。母と健全なコミュニケーションが取れないで大人になってしまったと感じる。一方でそれは親のせいなのでは、わたしは悪くないのでは、とも思ってしまう。大人になって自分も親になろうというのに、自分が親とうまくやっていけないなんてばかみたいで、いつまでも子どもみたいで嫌になる。わたしも母のようになり、子といい関係を築けないのだろうか、と不安にもなる。

 こうなってしまったわけを考えるよすがとするべく、これまでの母へのきもちなどを振り返ってみることにする。

 中学生くらいまでは、覚えていない。悩んだり困ったりすることはなかったのだと思う。高校生になっても同じだが、震災で被災して生活が一変し、あまり自覚はないけれど、親にいろいろ言うことを我慢していた面はあるのかもしれない。

 また、このころから父に文句があっても直接言わずにをわたしにこぼしてくることが多くなったと思う。直接言いなよと場を設けようとしたことがあるが、母が泣いてしまって父にはなにも伝わらなかった、という結末だったと記憶している。……これはいまの自分を見るようで嫌になる。似たような大人になってしまっている。

 そういえば実家では、人を下げて笑うというコミュニケーションが多いと感じる。なかでも、学歴や言動について、父が母をあげつらって笑い、それがふつうになっている。母に対して、あたまわるいな、ばかだな、と思ってしまっていることを否定できないのだが、母を見下すような視線を得てしまったのは、これも原因のひとつかもしれない。

 大学生になってひとり暮らしをするようになり、家事は別に自分でもできるじゃん、母もべつにすごくないじゃん、などと思う部分が増えた。今考えれば、共働きで家族4人分の家事をしているのだから、ひとり暮らしの生活とはたいへんさがぜんぜんちがう。しかも仕事はフルタイムだ。幼稚園に入ってからなのか、正確な時期はわからないが、幼稚園や学校が終わると父方のばあちゃんの家に帰って親の仕事が終わるのを待っていたから、親の支援は受けられていたのだろうけれど。また、父方の親を頼ったり近所に住んだり、そういう関係性を築けたのはすごい。ばあちゃんはうちの家の鍵を持っていて、雨が降ったら洗濯物を取り込んだりしていて、うちの生活にも入り込んでいたし。専業主婦だったばあちゃんは、母はちゃんとしていない嫁で母親と思っていたようだったし。こうして思い出すことで、母への尊敬ポイントを高めたら許せる部分も増えるのだろうか。

 社会人になって、さらに実家に寄りつかなくなった。大学3年のときくらいに震災で失った家の代わりの新しい家が建ち、大学卒業から就職までの2か月くらいだけ住んだが、わたしの生まれ育った家でも長く住んだ家でもなく、家族が住んでいる家というかんじが抜けない。どこに何があるかよくわかっていないし、いちおうある自分の部屋でさえ不要なものなどを置くのに使われている始末で、自分のものというかんじはない。わたしの私物が少し置いてあるだけの、あまり知らない部屋。

 ただ大学生のころか、住んでいるころか、父も弟も寝たあとに母とふたりで飲みながら話すということが何回かあった。ださいことだという自覚はあるが、酒を飲むとわたしは饒舌になり母ともけっこう話すことができたのだった。あのころは恋愛の話が多かっただろうか。

 

 思うに任せてつらつら振り返ってみたが、なんだかよくわからない。いわゆる毒親というわけではないし、大事に育ててもらったと思っているし、わるい人ではないし、ちゃんと優しくしたいという気持ちもある。ただもう、本音で話し合ったり相談したりする関係にはなれないという諦めに似た思いもある。子どものころはそうではなかったのだろうが、当然、母もわたしも長い時間の中で変わってきた結果なのだと思う。

 さいわい遠くに住んでいるから会う頻度は多くない。それでも会いたくないと思ってしまうし、優しくできていないと思う。たぶん根本的に解決する、いい方向に変える/変わる、というのは難しいことなのだろう。ひとりのときは適当にあしらっていればよかったのだが、結婚してからは夫も巻き込んでしまうことになるので、なるべくうまくやっていきたい。

さいきんの花。あとで絵に描きたいと思って写真におさめているが、手を出せていない

2026年7月のこと

 妊娠27週になった。24週~27週が妊娠7か月で、28週からは8か月に入り、8か月からは妊娠後期になるらしい。市の子育てLINEやたまひよのアプリから毎日、赤ちゃんの様子や今日のママへなどと称したメッセージが届くのだが、先日、予定日まであと100日、というのを見かけた。100日の記念として写真を撮る流行もあるらしいが、気づいたらその日は終わっていたなと今になって思う。

 最近は夜中に何度も目が覚めたり、3時や4時に目覚めてから寝付けなくなってしまうことが増えたりと、睡眠に関するマイナートラブルが多い。おかげで日中、特におひるごはんを食べたあとはねむくなってしまう。いまは日中空いているため昼寝をすればいいだけなので困っていないが、仕事がはじまったらどうなってしまうのだろうか。

 6月いっぱいで学校を修了し、就活を経てとある校正プロダクションへの登録が決まった。おそらく来週くらいから仕事をもらえるようになると思うのだが、睡眠も含め体調面の不安もあるし、ちゃんとやっていけるのかというスキル面の不安もある。やってみないことにはわからないよな、と自分を励ましてみる。

 前職は大学を卒業後すぐに正社員として入社して、手厚い新人研修があり、その後も先輩たちからの指導やサポートがあり、会社として社員を育てようとしていたと思うのだが、今回は社員ではなくて業務委託になるから、どのように扱われるのかがよくわからないのも不安だ。別にスタッフを成長させる必要はないしあまりいろいろ教えてはくれないのか、ある程度はできたほうが向こうにとっても楽だから少しはアドバイスをくれたりするのか……。

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 産前さいごの夫婦ふたりでの旅行として、1泊2日で熱海を訪れた。ホテルニューアカオに泊まることをいちばんの目的にして、その周辺の観光スポットをめぐるのんびり旅。MOA美術館にも行きたかったのだが、ちょうど展示替えで1日目、2日目ともに休館日にあたってしまい断念した。

 1日目、家から車に乗り込み、休憩込みで4時間ほどで熱海に到着。車はさいきん手に入れたのだが、10年近く運転していないペーパードライバーのわたしは未だその車を運転できておらず、この旅行中もずっと助手席におさまっていた。助手がつとまるか不安だったが、ねむらずにいたことで最低限の役目は果たせただろうか。出産前にペーパードライバー講習などに行き、車を運転できるようになっておこうと考えている。

 移動時間の半分くらいは首都高に乗っていた気がする。首都高に乗ったのははじめてだったのだが、車はたくさんいるし、まっすぐな道は少ないし、みじかい間隔に分かれ道がたくさんあるし、高速道路ときいてイメージする道とはかなりちがっていておどろいた。首都高はたいへんだというイメージはなんとなくあったのだが、(自分で運転したわけではないが)それを実感することができた。

 熱海への道のりは、小田原を過ぎたあたりからずっと海沿いのみちだったのがきもちよかった。ここ数年で訪れた、真鶴や湯河原や根府川・江之浦測候所もかすめていく。去年は江の島にも行ったし、さいきんは相模湾周辺が好きになのかもしれない。わたしの地元の海のそばは平坦な土地が続き、砂浜や干潟を経て海につづくのだが、このあたりは海のすぐそばに急な崖や坂があって山につながっていくのがおもしろい。高台から海を臨むと、とても眺めがいい。旅行中は晴れていて、初夏のいい景色をたのしむことができた。

 熱海駅のそばを通りすぎ、熱海銀座の近くに車をとめておひるごはんを食べ、そのあと來宮神社へ。なんというか、きれいに整備されていてカフェも併設されていて、近代的な神社だなと思った。次に起雲閣に行くはずが休館日だったので、海岸近くのコンビニに移動してひとやすみ。屋上が休憩スペースのようになっていて、つめたい飲みものを飲みながら海風を浴びる。

 そのあとニューアカオに16時ころにチェックインした。海のすぐそばに建つオーシャン・ウイングと、崖の上のホライゾン・ウイングのうち前者の部屋を選んだのだが、部屋の窓のすぐ下は海で、波の音も聴こえてくるのがここちよかった。ホテル内を探索したり、ラウンジで海を眺めながら休憩したり、温泉に入ったり、部屋でごろごろしたりしながらよるごはんまでの時間を過ごす。

ロビー横のロゴが見えるテラスから撮影

 よるごはんはメインダイニング錦という会場でビュッフェをいただく。劇場のようなレストランで、重厚な内装とピアノの演奏、おいしい料理をたのしんだ。

 次の日は朝4時ころ目が覚めて、日の出のひかりで薔薇色に染まる空と、朝のひかりの中の海を見た。布団に戻り、5分くらいしてからやはり写真を撮ろうかとカメラアプリを起動してふたたび窓の外を見たのだが、見たはずの薔薇色は消えていた。

 実家の家族には言えないけれど、どうしても海がきらいになれない。わたしたちの家や故郷を奪っていったものと同じ存在という意識はある。おそらく家族はあれから海にちかよっていないと思うのだが、わたしは時間によって刻々と色を変えるのも好きだし、つよい光にきらめく波も好きだし、海水浴で波に揺られるのも好きだ。たぶん震災のとき、わたしが帰ったのは水が引いたあとで、海のおそろしさを見ていないからだ。だから、自分が海を好きなままだということにはうしろめたさがあり、地元のひとたちの前で海を好きだとは、言えない。

 日の出の空と海を見たあと、布団でごろごろしていたら眠気がやってきたので1時間くらい追加でねむり、みじたくをしてあさごはん。夕食とおなじ会場でたらふくビュッフェをたべた。和食にするか洋食にするかをえらべずに、1回目にごはんと味噌汁とおかずを食べたあと、2回目にパンやスープやくだものやデザートを取りわけてきて食べた。

 2日目はきのう行けなかった起雲閣から。1919年に別荘としてつくられ、建物の増築や庭園の整備、旅館を経ていまは文化財として公開されている。洋館「玉姫」のサンルームと、山小屋風の内装の「玉渓」がすてきだった。後者のヘリンボーン柄の床と、山小屋らしく無骨に仕上げている柱がいい。

玉姫のサンルームは繊細なステンドグラスがうつくしい

 そのあと伊豆山神社へ。駐車場までの道が急な坂道で、おちてしまうのではないかとどきどきした。その分、高台から海が見渡せて景色がよかった。伊豆山神社は源頼朝と北条政子が結ばれた地らしく、大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」でふたりを演じた大泉洋と小池栄子のすがたで頼朝と政子が寄り添うようすが想像された。神社でのお参りで願うのが子が健康であること、無事に産まれてくることばかりとなり、こうして親になっていくのかな、などと思った。

境内横から海を臨む

 夫もわたしも朝食をたくさん食べたせいでおなかが空かず、おひるごはんは食べないまま帰路につく。帰りに海老名サービスエリアでアイスクリームを食べた。ソフトクリーム屋さんのソフトクリームは540円で高いなと感じ、成城石井の300円のアイスクリームを買ってきて食べたのだが、300円のアイスクリームも高いし、どうせ食べるなら540円のソフトクリームを食べたほうがよかったかもな……と自分で選んだくせにもやもやとしたのだった。

2026年6月のこと

 妊娠22週、6か月目の半ば。妊娠期間も後半戦に入ったようだ。2週間ほど前は、胎動を感じはじめる頃というがぽこぽことおなかが動くのが胎動なのか、じぶんの腹の虫なのか、どうにも確信が持てなかったが、最近はなんとなく違いがわかってきた。動いていると、ちゃんと生きてるんだな、よかったな、という気持ちと、自分の中にじぶんとはちがう生きものがいる不思議さを同時に感じる。

 最近は目がさめるのがはやい。妊娠の影響なのか、仕事もせずつかれも少ないからなのかわからないが、5時半ころに目が覚めてそのまま起きて過ごしている。夫は寝ているのでテレビや動画を見るのは憚られるが、美術館や本の感想ノートをまとめる、読書をする、絵を描く、ブログを書くなど、自分がやりたかったことが自然に手につく時間になっている。

 朝にものごとに取り組むのも好きだったことを思い出す。高校生、受験生のとき、23時に寝て、5時に起きて勉強して、はやめに家を出て学校の自習室に行って勉強して、授業を受けて、放課後も自習室で勉強して、20時ころ家に着いてまた23時には寝て……という生活をしていたことを思い出す。誰に強制されたわけでもなかったが、そのようにして勉強時間をとっていた。そのときは震災の影響で仮設住宅に住んでおり、アコーディオンカーテンで仕切られた空間が自分の部屋と呼べるものだったのだが、朝っぱらからごそごそいう音で起こされた(かもしれない)家族を思うと、ちょっぴり申し訳ない。塾も行かず浪人もせずに合格できたので、そこは親孝行だと思って許してほしい。

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 ここ最近、出産時の処置や、経膣検査や乳がん検診の痛みのことがXのタイムラインに流れてくる。こんな風にされて痛かった、というコメントを見るたびに不安になる。麻酔をしないのは、麻酔をしなくても痛みを我慢させれば処置や検査を完了できてしまうから。麻酔をしても点数にならずお金にならないから。麻酔をする方向にすすまないのは、長年のジェンダーバイアスにより、その痛みは痛くないもの、もしくは我慢できるものと見なされているから……。

 タイムラインに流れてくる理由がほんとうのことかはわからないが、これだけ痛いという声をあげるひとが多いのであれば、痛い(ことがある)のはほんとうのことなのだろう。うまくことが運べば、あと4カ月のあとわたしも出産することになる。鼻からすいかが出るという出産時の痛みだけではなく、その後の処置も痛いのか。痛いのはこわい。

 文學界で連載されていた頭木弘樹の「痛いところから見えるもの」で、痛みを言葉にすること、ひとに伝えることは難しく、他人の痛みをほんとうに理解することも難しい(できない)と語られていたことを思い出す。現在は2割程度が女性だそうだが、医師は男性が圧倒的に多かったし、多い。現場の医師の数がそうということは、点数であったり、ガイドラインであったり、そういう決まりをつくる場に参加するのは男性が多いという状況は昔から変わっていないと思われる。また、決まりをつくるひとたちはその痛みがわからないのだから、女性特有の痛みに対する議論があまり進んでこなかったと想像される。

 いまはXで(少し?おおいに?)話題になっているだけだと思うが、現実の議論のきっかけになってくれればいいのに、と思う。

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 学校に通うのが、残りわずかとなった。来週くらいから就活をする。ちゃんと決まって、7月半ばくらいから働くのが理想だ。校正プロダクションの選考では実技試験が課される会社がほとんどで、わたしが受けようとしているところも実技試験がある。どの程度のレベルなのか、わたしは通用するのか、不安だ。先日、学校の就職面談2回目があり、その会社の試験は学校に通っていればそこまで難しくないレベルだし、修了生の合格率も6~7割と聞いているが、それでも不安はのこる。定期テストがあったり、成績がでたりするわけではないので、学校に通うひとたちの中で自分がどのレベルにいるのかわからないからなのだろうか。

 とはいえ、はたらくのは楽しみだ。自分がやったことのない分野に飛びこんでいくことは、わくわくする。そういう意味では、子どもがいる生活というのも、不安はあるけれど少しは楽しみなのかもしれない。自分ではない人間、コントロールできない存在とかかわって、よい方向に導かなければならないこと、とても長い期間でみる必要があること、仕事や趣味みたいにやめることができないことなどが、不安のほうを大きくさせているのかなと思う。

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 前回から1か月で行った展覧会は以下のとおり。8個も行っていておどろく。平日に自由がきくうちに行っちゃうぞ~!という気持ちで週に2個くらい行っている。チュルリョーニスがだいぶよくて、図録を買ってしまった。音楽の素養があったらより楽しめたのかな。でもヒルマ・アフ・クリントを見たときのような、大きなものに触れているようなかんじがたのしかった。

  • 国立西洋美術館のチュルリョーニス展&北斎 富岳三十六景展
  • サントリー美術館の河鍋暁斎展
  • 東京ステーションギャラリーのカール・ヴァルザー展
  • 太田記念美術館の広重展
  • SOMPO美術館のブーダン展
  • 静嘉堂文庫美術館の懐石のうつわと茶の湯展
  • 東京藝術大学美術館の日美50年展
  • 東京都美術館のアンドリュー・ワイエス展

 また、いま柚木麻子の『BUTTER』を読んでいるのだが、めちゃくちゃおもしろい。最初は、バター醤油ごはんおいしそう……(実際じぶんでも食べた)、料理の表現がすばらしいな……と思っていたが、料理、食、女性、恋愛、家族、親子、結婚、妊娠、友人など、いろいろな要素がいろんな人たちを通して語られていて、読み進めていくうちにもっと引き込まれている。のこり1/3くらい、どういう結末を迎えるのか気になるが、終わってしまうのもさみしい。こういうのが読書の愉しみのひとつだよな、と思わせてくれる作品。読み終わったらしっかりふり返りたい!

先週の花。芍薬は好きで、毎年1度は連れ帰りたくなる

2026年5月のこと

 5月に入り、だいぶあたたかくなってきた。アウターの必要な季節はとうに終わり、長袖だと暑い時間帯もあるような、かといって半袖だと寒い時間帯もあるような気温がつづいている。

 1か月も経つと悩みは変わるもので、つわりはすっかり終わって気持ち悪さはなくなり食欲ももどってきた。目下気になっているのは体重と体形、着るものである。少しおなかが出てきたが、これは妊娠の影響なのか、ただ太ったのか。体重計に乗っては増えてきたことを喜べばいいのか悲しがればいいのか。着替えてみれば、このパンツもあのスカートもチャックが閉まらない。「妊婦 体重増加」、「妊娠○○週 おなかの大きさ」などと調べる日々である。

 着られる服がなくなってきたのがいちばん困っているかもしれない。もともと、ウエストゴムでらくなパンツよりもゴムがなくてすっきりしたものを好んでいたし、トップスをインして着ることが多かった。つまり、少しおなかのサイズが変わると、とたんに入る服が少なくなってしまう。おなかを目立たないようにしたいのに、インして着る前提の短め、かつゆとりが少ないトップスばかりが手元にある。

 特に調べたおぼえもないのにInstagramで流れてくるようになった妊婦むけ情報にでてきた、妊婦におすすめというGUのリブパンツを買ったり、ふわっとしたチュニックを買ったり、少しずつ着られそうな服を増やしている。

 産後に使わなくなるのも癪なので、なるべく好きだなと思えるものを購入するようにしているつもりだが、実際に着るかどうかは来年のわたしに聞いてみないとわからない。体形がもどらずにこれまでの服のほうが着られなくなってしまった……なんていうかなしいオチもありそうだけれど。

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 引き続き通っている学校のほうは、校正・出版の基礎知識、基礎実技の講義はほぼ終わり、7月に控えている検定試験の過去問を解くかたちで技術を高めているかんじ。講義は6月末までで、これまで3か月弱通っていて、あと1か月半くらいしかない。1回1回をだいじにしなきゃな……などと殊勝なことも思ったりする。

 先日就職にむけた面談があり、いまの状況を伝えてどんな方向性があるのか相談した。そもそも校正で正社員の口は少ないし、この状況で採用してくれるわけもないし、フリーランスの方向で就職活動をしたほうがいいのかなと考えていたが、それがベターらしい。

 学校を修了したあとあまり期間が空かないよう、6月のうちから校正プロダクションに応募し、7月から9月までの短いあいだでも実務経験を積み、産後おちついたら在宅メインで仕事ができるようにするのがいいのではないか、とのことだ。不安もあるが、なんとかやってみたいと思っている。

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 この1か月で行った展覧会もざっと振り返ってみる。週1くらいのペースで行っていたようだ。

1.下村観山展(東京国立近代美術館)

 下村観山のなまえは知っていたが、しっかり見るのははじめてだと思う。はじめてのときは1冊本を読んでから行くのが好きだったはずなのだが、ここ数年はその習慣がとぎれてしまっている。が、前段の知識はなくても思ったよりぐっときて、後期展示も行きたいなと思ったほど(結局行かなかったけれど)。

 前半は年代ごとに、後半は人や社会とのつながりから見たテーマに沿って展示されていた。いちばん印象にのこるのは《小倉山》。角を曲がって目に入った瞬間に時が止まったようだった。大きめの二双一曲の屏風で、右隻は鬱蒼とした秋の林、左隻はその林がつながっているものの、左にいくにつれて木々や葉の密度が薄くなり余白がとられている。右隻には男がひとり座っているが、その目線は抜けるように余白のほうに伸びていて、余韻をのこすような表現になっている。木々や植物の表現が美しく、特に垂れ下がる蔓とそれに連なる赤い葉たちがきれいで、しばらく見つめていた。

 ほかには《木の間の秋》、《弱法師》、《白菊翁》が好きだった。大きくてしずかな画面の中に呑まれるような体験だった。《四眠》でぐんにゃりとねむる龍はかわいかった。

 東京国立近代美術館に行くときは企画展のあとに常設にも行ってみるのだが、企画展ですでにへろへろになっておりしっかり鑑賞できたためしがない。いつだったか常設だけを目当てに行ったときも満足度が高かったため、また常設を目的に訪れたい。

 

2.クロード・モネ――風景への問いかけ(アーティゾン美術館)

 予想通り混雑していた。が、平日朝イチの回だったのでおそらくましなほう。1周したら最初に戻って、2周目は好きだった作品を中心にじっと見るのだが、2周目は明らかにひとが増えていた。土日はたいへんなことになっているだろうな、やっぱりモネは人気だなと思う。

 《かささぎ》をはじめとした雪の作品がよかった。雪の色は白だと思ってみるのだが、近づいてよく見るとさまざまな色が使われていておどろく。遠ざかるとちゃんと雪に見える。モネの作品は遠くから見るのと近づいて見るのとでちがう発見があり、遠くからも近くからも見るのがすきだ。

 《ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽》、《ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光》など、連作がならべて展示されていたのもよかった。連作、どれも心惹かれる。

 

3.光琳派 国宝「燕子花図」と尾形光琳のフォロワーたち(根津美術館)

 《燕子花図》は根津美術館で毎年春に展示されているようだが、見るのははじめて。下村観山のときにも思ったが、でかい絵、でかい屏風は好きだ。となりに弟子の渡辺始興の燕子花図も展示されていて、くらべて見られるのがおもしろかった。渡辺始興のものの方が、燕子花が細密に描かれていて好き。始興の《四季花鳥図押絵貼図屏風》もよかった。植物や鳥が描かれているのだが、木の幹や岩はいわゆる水墨画のように筆の太さやかすれを活かして描かれているが、花や鳥は写生的にこまかく描かれていて、そのコントラストがおもしろい。

 

4.トワイライト、新版画――小林清親から川瀬巴水まで(三菱一号館美術館)

 小林清親と川瀬巴水の2人がメインの展示だと勘違いしていて、小林清親のパートが思ったよりはやく終わって別の人のパートに移ったので混乱した。そこでタイトルをちゃんと読んで、2人展ではないのかと納得。

 小林清親は前に太田記念美術館で見たときから好き。光と影や揺らぎを版画で表現した、光線画と呼ばれる作品たちがかなりいい。特に、夜の暗さと光を描いた《高輪牛町朧月景》、《大川岸一之橋遠景》、《新橋ステンション》などがよかった。

 これまで知らなかったが、チャールズ・W・バートレット《牛臥》、高橋松亭《雪月花 徳持》、伊東深水「近江八景」シリーズなんかもよかった。新版画も深堀りして学びたい。観山もそうだけれど、近代日本画について興味が湧いている今日このごろ。

 2階に降りると吉田博の作品が! 何年か前に東京都美術館で開催されていた吉田博展を見てから好きで、作品をiPadの壁紙にしているくらいなので、ばったり出会えてかなりうれしかった。「帆船」のシリーズは同じ版木で異なる色を使って制作されているとのことで、モネの連作も彷彿とさせる。わたしは時間や光、その変化が感じられる作品が好きなのだなと思う。「帆船」の中では、朝の情景の太陽の光がいちばん印象に残っている。

三菱一号館美術館と薔薇

2026年4月のこと

 なにか書きたいという気持ちが常にうっすらあるものの、習慣づけられずにまた間が空いてしまった。
 仕事をやめることを決めてなんとか引継ぎなどを行い、1月から有給消化に入り2月いっぱいで正式に職場を離れた。スクールに通いつつ、次の就職にむけてどちらかといえばうきうきで準備をしている時期であるはずなのだが、不安いっぱいで過ごしている。今回はその不安や憤りのようなものを文字にして整理したくて書いているところがあるので、なかば愚痴のような内容になると思う。

 実は、妊娠した。夫と結婚して2年になったところであり、これまた喜ばしいことであるはずだが、手放しでよろこべない。わかったとき、どうすんだよ、という気持ちがいちばんに出た。もともと子どもがほしいとは思っていなかったし、仕事をやめて無職のタイミングだし。夫は子どもを望んでいたし、互いの両親もよろこぶだろうことはわかっていたし、子どもがいる人生経験に興味がないわけではなかったが、自分自身はほしい気持ちに傾いたことはなかった。以前に書いたような気がするが、そこから大きく気持ちは変わっていなかった。

 妊娠がわかったとき、案の定、夫はよろこんだ。呑気なもんだなと思う。言ってないけど。

 あるとき、セックスするとき子どもができるように気合入れてたんだよね。みたいなことを言われた。そのときは笑って流したが、は?と思った。わたしの意思は?からだを痛めて産むのはわたしなんだけど?てか仕事やめたタイミングでどうする気なの?仕事してたら産休育休期間もお金もらえるけど、ここから6月までスクールに行って、秋に出産を控えているひとが就職できないよね? ……夫には言っていない。

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 妊娠11週となり、少し前にくらべるとつわりが落ち着いてきたような気がする。ただ、体のだるさや眠気を感じることが多く、ままならないことがもどかしい。

 体の変化などを書いておくと、5週くらいで吐き気を感じた。最初は原因がわからず、とりあえず胃薬を飲んでごまかしていたが、5日ほど続いたため妊娠検査薬で検査してみると、陽性。翌週病院に行き、正式に妊娠と診断された。妊娠の検査が自費診療となることにおどろく。病気ではなく正式な生理現象と定義されているためだそうだが、なんだか納得できない。さっと調べてみた感じだと、外国では無料の国もあるようだ。病気じゃなくたって、病院にいってきちんと検査、検診が必要である事象であるのだから、保険適用にしてくれたっていいのにと思う。これらの制度をつくっている国は子どもを増やしてほしいくせに。

 吐き気はあるが実際吐くわけではなく、いわゆる「食べづわり」。おなかが減ってくると気持ち悪さが増すので、間食にバナナや食パン、ドライフルーツやゼリーなどを食べる。甘いものやすっぱいものはだいたい食べられ、果物や野菜、パン、アイスなどはおいしい。おすすめの食べものとしてフライドポテトが挙がっていて、揚げものなんて食べられるのか?と半信半疑でポテトを買ってきたらおいしく食べられておどろいた。

 夫が作ってくれた料理が食べられないのに、次の日に試してみたマクドナルドのハンバーガーのセットは食べられて、なんだか申し訳ないきもちになる。いろいろ試していくうちに、肉や魚はあまり受け付けないが、ハンバーガーのようなジャンキーな味付けのもの、麻婆豆腐や担々麺のような、刺激がつよいものは、比較的食べられるとわかる。

 また、かなり眠りが浅くなった。内容はあまりおぼえていないが、朝方に悪夢をみて目が覚める。たいてい起きる時間の1~2時間くらい前なので、また少しねむるが、つぎにアラームで目が覚めるときはすっきり起きられなくて気持ちよくない。

 夕方から夜にかけて眠気を感じることが増えた。生理中にも、夕方くらいにつよい眠気を感じることがままあったが、それと似たような眠気。夜の眠りが浅いほかに、ホルモンバランスの乱れとかそういう類も原因になっているのだろうなと思う。

 眠気のほかだるさが強い日もある。吐き気がある、眠い、だるい、が日によって割合を変えてやってくる。今日は調子いいな、と思っても次の日はぜんぜんダメということもあり、ままならない。仕事はしていないので、これらの症状によって仕事に支障がでるということはないのだが、スクールででた課題をやるのがしんどくて困る。ほんとうは課題だけではなくて復習の時間も取りたいのだが、課題をやるので精一杯の状態だ。

 美術館に行ったあと買いものもしようとか、美術館2個行っちゃおうとか、外出するときは複数の予定をたてることが多いのだが、だるさのせいなのか、横になって過ごしている時間が増えて体力がおちているせいなのか、1つの予定しか満足にこなすことができない。

 先日病院のあと美術館に行ったら、鑑賞している最中にへろへろになってしまい、何度もベンチに座って休憩しながらの鑑賞となった。それほど混雑していなかったので、それでもゆっくり見られたのはよかった。再来週、アーティゾン美術館のモネ展を予約しているのだが、はたしてしっかり見ることができるのだろうか……。

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 スクールの期間は6月いっぱいで、そのあと働くつもりだったのだが、10月下旬に出産予定日を控えるいまの状態では、すぐに正社員として就職するのは難しそうだ。もともとはどこかの正社員となって働くことを考えていたのだが、どうするか再検討が必要である。スクールでは、5月くらいから就職相談もしてくれるようなので、とりあえず相談してみようと思う。最初からフリーランスとしてはたらくこともできるようだが、最初は出社が必要になりそうという話も聞いていて、その時期のじぶんの状況も読めず、もやもやとした未来を呆然とながめているような状態である。

 仕事をやめなかったら、もしくは転職したあとだったら、産休・育休に入って、その期間も手当はもらえて、休み明けは時短かもしれないが復帰して、とあまり心配はなかったのだが。正直タイミングがわるい。

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 3月下旬、あるタレントのイベントに参加したいという母と、その付き添い(?)で父が東京にあそびにきていて、妊娠したことを伝えた。母と話しているときに、仕事やめなきゃよかった、とこぼしたら、去年は占いがわるかったのに決めるから、みたいなことを言われていらだちをおぼえた。入っていたプロジェクトが1年くらいしんどくて、上司に相談しても共感はしてくれるが改善はしなくて、このままじゃメンタルを壊してしまう、その前に逃げなくてはと思ったから、悩んだ末に決めたことなのに、何も知らないくせに占いに従わないせいだなんて言うのか。

 母は、家族は自分の言うことを聞くべきだと思っている。本人は自覚していないと思うが、占いのことだって、自分が信じている占いというものを、家族はみな信じるべきである。それに従わないなら悪い結果になって当然である。と無意識に思っているのだ。

 里帰り出産という手もあるよ、という言いかたで、里帰り出産を勧められた。夫も基本テレワークなのであれば、いっしょにこっちに帰ってきたらいいではないか、だそうだ。無理である。妊娠がわかってから会う前までは、東京で産んだらすぐに頼れる相手もいないし、里帰りもありなのかな、どうしようかな……と迷っていたのだが、会ってみたら絶対に里帰りはしないという決意がかたくなった。

 母はよくしゃべる。母、父、夫、わたしの4人で行動していても、8割くらいは母が話をしている。しかも何度も同じ話をするし、それ聞いたよなどと指摘しようものなら、じゃあもうあたしはしゃべらないからいいです、などと拗ねる。なのでうんうんと聞いているしかないのだが、だんだん聞いているのもしんどくなってくる。両親が帰ってから、とても疲れているのを感じた。夫も疲れたと言っていたが、わたしよりもっと気を遣って疲れていたであろう。こちらが元気なときは、多少疲れていても向こうに機嫌よくいてもらうことができるが、出産前後はこちらも精神状態がよくないはずで、その中で母が自分の話ばかりしてこようものならたまらない。しかも同じ家にいたら逃げ場もない。何度会ってももう一緒には住めないなと感じるのに、育児しながら生活をともにできることがあろうか。

 また先ほども言ったように、みな自分の言うことを聞くべきだと思っているので、育児にあたってもああだこうだと口を出してくるだろう。おそらく最新の情報を調べることはせず30年前の知識で語ってくるだろうから、こちらも言う通りにしたくないことが多々出てくると思う。だが無視していれば、なんで言う通りにしないのかと、言うとおりにするまで口を出しつづけることが目に見えている。口を出すだけならいいが、手も出してきそうなのが怖い。やりたいこと、やりたくないことを、なされてしまうのではないか。

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 もやもやをもやもやのまま書いた。アメリカがイランを攻撃したことで、原油が日本に入ってこなくなり物資の供給が滞る可能性があるなど、子どもを産み育てるのによくない環境になりつつある不安についても書こうと思っていたのだが力尽きた。少し未来のわたしがこれを読んで、あのときは不安だったなあ、と笑っていれば幸いである。

近所のさくら通りでみた桜

2025年8月のこと

 今年はお盆の時期にとった夏休み。夏休み期間中さいごの平日であるきょう。夫は家で仕事をしているため外に出たく、ベローチェに入ってこれを書いている。パソコンより軽そうだなと思い、iPadとキーボードを持って外に出た。すぐには書く気にならず、ずっとならないならそれはそれでいいかと少し本を読み、やっぱり書こうかなという気になったのでiPadを立ちあげた。キーボードを接続しようと思ったのだが、なかなかつながらない。ふと裏側を見ると、電池が入っていないのだった。仕方なくソフトキーボードでこれを書いている。

 iPadのソフトキーボードはふつうのQWERTY配列なので入力じたいは思ったよりも苦ではないのだが、どの指がどのキーにあたっているかよくわからないため手元をみていなければならず、入力まちがいが多い。

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 大学生のころ、おしゃれなカフェにいくのがすきだった。ひとつの趣味ですらあったと思う。いろいろ行ってみた結果、なんとなくコーヒーの味の好みが芽ばえた気がする(それまではコーヒーはコーヒー味としてしか捉えられていなかったが、酸味より苦味がつよいほうがすきだと思うようになった)。仙台で大学生をしていたわたしがカフェめぐりをするうえでお世話になっていたサイトがある。「CAFE SEN」というサイトで、仙台駅周辺のカフェをエリア別にまとめてくれていた。そのころ仙台駅周辺をすみかとしていたので、そのサイトはたいへんありがたく、掲載されているお店にすべて行くことを目標にカフェめぐりをつづけていた。

 結局すべては行けなかったと記憶しているが、なんだか懐かしくなり、またサイトを見てみようと探してみた。結論、サイトはなくなってしまったようだ。それらしきXのアカウント(https://x.com/cafe_sen)や、CAFE SENのスタッフブログらしきもの(https://ameblo.jp/cafesen)は見つかったのだが、そこからHPのリンクをたたいてみても、なにやらあやしいサイトにつながるばかりで、わたしが見ていたサイトは見つからないのだった。

 さて、そんなわたしだが、今はチェーンのカフェにばかり足がむいてしまい、おしゃれなカフェに行こうと思わなくなってしまっている。大学生のころは、コーヒーも高いしケーキなんか食べたらもっと高いと思っていたのに、いろいろなカフェに行こうとしていた。いまは社会人になって、カフェに行くくらいのお金のくびきからは解きはなたれたはずなのだが、ベローチェやドトールなどチェーンのカフェにばかり入ってしまう。仙台から東京に出てきて、おしゃれなカフェなら山のようにあるはずなのに。

 なんでかなと考えてみると、なりたいようすとか、やりたいことが変わったのかなと思う。おそらくあのころは、カフェめぐりを趣味としておしゃれなカフェに行くようなひとになりたかった。今は、カフェに行くときは外で読書をしたり書きものをしたいときで、カフェ自体をたのしみたいとは思っていないと思う。ほんとうはカフェに行くことを目的としておしゃれなカフェに行きたい自分も残っているのかもしれないが、大学生のころと比べるとそれに割く時間がとれなくなっていて、その自分がでてこられないだけなのかもしれない。でもそうでもないような気もする。

 外で読書をするのに、ベローチェやドトールはちょうどいい。本やパソコンをひろげているひとが他にもたくさんいて、店員さんも含めて、だれも自分のことを気にしていないからかもしれない。

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 ほんとうは江之浦測候所に行ったことを書こうと思ったのだが、いろいろ書いているうちに力尽きてしまったのでまたこんど。写真を1枚だけ載せておきます。

冬至光遥拝隧道からみた海