2024年6月のこと
先日、はじめて夫の祖母宅へ行ってきた。祖母宅があるのは長野県の諏訪のほう。長野にはほとんど行ったことがなく、長野に行くには長野新幹線に乗るものだと思っていたが、それは長野市方面へ行く場合のはなしで、東京から諏訪方面に行く場合は新宿から特急・あずさに乗るものなのだという。ということで、新宿まで出て、あずさに乗って移動した。
あずさに乗った感想は、酔う、ということだ。山梨県や長野県のあたりは山が多いことからカーブも多く、そのカーブでなるべくスピードを落とさずに走るために車体を傾けて走るらしく、その揺れで酔うことが多いのだそうだ。夫はわたしが酔ってからそのことを教えてくれたのだが、はやめに教えてくれればよかったのに、そうしたら先に酔い止めを飲むなど対策ができたのに、と思わずはいられなかった。
祖母宅に1泊した後、諏訪大社を訪れた。諏訪大社は4つの社に分かれており、諏訪湖の北側に春宮と秋宮、南側に前宮と本宮が位置している。春宮・秋宮は下社、前宮・本宮は上社と呼ばれ、上社と下社のあいだは15kmほど離れているため、すべてを徒歩でまわるのは難しい。事前にレンタカーを調べていたが予約でいっぱいだったため、下諏訪駅近くでレンタサイクルを借りて下社を見たあと、電車で茅野駅に移動し、またレンタサイクルを借りて上社を回るコースとなった。10時半くらいから16時くらいまでかかったと思う。
最初は秋宮へ。どの社にも、拝殿の周りを4つの御柱が取り囲んでいるのが独特でおもしろい。あの有名な御柱祭で曳かれてきた柱なのだそうだ。拝殿の右に一之御柱、それから時計回りに二之御柱、三之御柱、四之御柱と並んでいて、一之御柱がいちばん大きく、四之御柱になるにつれて小さくなっている。秋宮は神楽殿のしめ縄が大きくて目立つ。拝殿の彫刻も美しい。
次は自転車で数分、春宮へ。こちらも拝殿の彫刻がかっこよかった。また、境内から朱塗りの橋を渡って奥へと歩いて行ったところにある万治の石仏も印象的だ。大きな石が体になっていて、頭はその上にちょこんと乗っていて、顔の表情もどこかユーモラス。岡本太郎も絶賛したという造形。仏像はけっこう好きだけれど、こういう雰囲気の仏像ははじめて見たので感動した。石仏へ至るまでの道は川が近く、流れる水の音や葉ずれの音がここちよかった。
そのあとは下諏訪駅の近くでうなぎを食べようと思いお店の近くまで行ったのだが、駐輪場に止まっていたバイカー集団に「バイカーが18人もきたから売り切れになっちゃったよ」と言われてあきらめることになった。
結局昼食は茅野駅に移動したのちに、駅の近くでそばを食べた。そしてまたレンタサイクルを借り前宮へ。秋宮と春宮は下諏訪駅から歩いても行けそうな距離にあるが、前宮と本宮は茅野駅から歩くと1時間弱くらいかかりそうな距離感だった。前宮は駐輪場から階段をけっこう登った先に位置しており、ちょっぴりつかれた。下社の拝殿の彫刻について触れたが、上社は下社とくらべて装飾が少なくシンプルなつくりだと感じた。すぐ横には「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる小川が流れており、さわってみると冷たい。
さいごにまた自転車にまたがり本宮へ。いちばん大きな敷地、建物だった。4つの御柱間の距離も離れていて、どこにあるのか探すのに苦労した。4社をめぐりながら御朱印も集めていたのだが、4社すべてを回ると記念品をもらうことができた。年によって記念品は変わっているそうで、2024年は巾着袋であった。さっそく御朱印帳を入れる袋として使うことに。夫はこれまで御朱印には興味がなさそうだったが、今回を期にはじめることとしたらしい。
本宮の近くにはお土産屋さんや食べ物屋さんなどがあり、ふらふらと見て歩いた。少しおなかも空いており、また長野にきたらおやきを食べたいと思っていたので、野沢菜のおやきを食べられて満足。また干しきくらげや干し山くらげも安かったので買いもとめた。山くらげは夫が料理してくれたのだが、こりこりした食感が好みである。
というわけで諏訪大社に行った記録。今回はめずらしく写真が多めになった。
2024年5月のこと
今年はゆるやかに更新しよう、と思っていたら前回の更新からあっという間に2か月経ってしまった。読んでくれている友人が楽しみにしている、と言ってくれたので、やっぱり月に1回くらいはなにか書きたいなと思ってはいる。しかし、前回結婚した、という話を書いたが、ひとり暮らしではなくなってからどうにも書きづらい。夫は構ってほしいタイプのひとで、家にいてもふたりでなにかをすることを好む。本など読みたいときには、これから2時間ほっといてくれ、と宣言してから読むのだが、文章を書くのはなんとなくやりづらい。理由はわからないけれど、彼に見られたり知られたりしたくないという気持ちがある(こんなことを書いてしまっては、なおさらになってしまう)。
今日は、とくに予定はなかったのだが有給休暇を取得して、ひとり1日中出かけている。そして、めずらしくカフェでPCを開くなんてことをして、これを書いている。原宿の太田記念美術館で「月岡芳年 月百姿」を見て、タリーズでパスタを食べ、SOMPO美術館の「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」を見てきた。いまはアイスコーヒーをおともにベローチェに座っている。美術館のはしごはあたまもからだも疲れるのだが、今日みた展示はどちらも作品数が70点くらいだし、ひともそれほど多くなくゆったりと見ることができたし、あいだに休憩もはさめたし、疲れより充実感のほうがつよい。どちらの美術館もそれほど大きくはないのだが、落ちついて見ることができることが多くて好きだ。
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ここで最近行った展覧会を振り返ってみようと思う。
まずは麻布台ヒルズギャラリー「オラファー・エリアソン展」。オラファー・エリアソンは、たしか去年国立新美術館で開催されていたテート美術館展ではじめて知って、気になっていた。特に印象にのこっているのは、《瞬間の家》というインスタレーション作品。天井から何本かのホースが吊り下げられていて、そこからいきおいよく水が噴き出している。ホースは支えもなく垂れ下がっているだけなので、水の勢いに合わせて絶え間なくかたちを変えている。同時に噴き出た水も常に動きまわっている。展示空間は暗いのだが、つよい光が明滅しており、わたしたちは光っている瞬間だけ水のかたちを見ることができる。水はそのときだけ固定されたように目に飛び込んできて、そのかたちを見ることができるのはその一瞬だけ。それがとてもドラマチックで、非日常を体験させてくれて好きだった。いつまでも見ていたくて、しばらくさまざまな水のかたちを眺めていたと思う。ほかの作品やアーティストが話している映像などを見て、彼は作品をつくる準備をして、仕上げは自然のちからに任せていて、自然と協働して作品をつくっている/つくりたいと思っているのだなと思った。
東京都美術館「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵」では、アメリカの印象派と呼ばれる画家たちの作品をはじめてちゃんと認識して見て、めちゃくちゃいいじゃん!と思った。とくに好きだったのは、チャイルド・ハッサムの《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》。何が、と考えてもぜんぜんことばが出てこないのだけれど、絵の前に立った瞬間、好きだと思った。ブルーのガウンの女性と黄色いチューリップの色合いがいいなあとか、静かな空気感がいいなあとか思うんだけれど、なにかわからぬ引力を感じた作品。〈窓〉シリーズのなかの1つということなので、ほかの作品も見てみたい。モネやルノワールなどいわゆる印象派の画家の作品も展示されていて、ウスターの《睡蓮》も美しかった。
国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は、国立西洋美術館としてはじめての現代アートの展示だという。美術館のスポンサーである川崎重工への抗議が行われたことでも話題となっていた。ぜんぶ見るのに3時間くらいかかり、へろへろになった。竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の前に立ったとき、なみだが出そうになった。奥にモネの《睡蓮、柳の反映》があり、手前にオーガンジーと糸でできたこの作品が吊るされている。モネの睡蓮は上半分が欠けてしまっているのだが、竹村の作品はそれを補うようにつくられている。なみだが出そうになったのは、単なる修復を超えたうつくしさ、過去の画家との協働のようなすがたに感動したのだと思う。
山種美術館「花・flower・華 2024」。山種美術館にはじめて行ったのだけれど、とってもよかった。明治、大正、昭和、平成、時代の垣根を超えた花の作品が百花繚乱といったところ。いちばん好きだったのは速水御舟の《牡丹花(墨牡丹)》。うすいエメラルドグリーンのような緑と、墨の黒だけで表現された牡丹がめちゃくちゃかっこよかった。
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国立新美術館「マティス 自由なフォルム」、ワタリウム美術館「パーフェクト・カモフラージュ展」にも行ったのだけれど、ちょっと疲れてしまったので、また機会があれば書こうと思います。写真は、思わず撮ってしまった《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の展示のようす。
2024年2月のこと
2024年2月29日、うるう日に入籍した。まだいっしょには住んでいないこともあるかもしれないが、どうも実感がわかない。新しい姓と名前がならぶ文字面に違和感がある。まだいっしょには住んでいないし、変わったことといえば、左手薬指に常にゆびわをはめるようになったことくらいか。これまでは3人称を「彼氏」と言っていたが、「夫」などと言うことになるのだが、気恥ずかしくて口に出せていない。
会社の先輩などに結婚をしたことを報告すると、たいてい子どもはどうするかと聞かれる。夫とかるく話した際には、彼は子がほしいと言っていた。正直わたしは、これまで子どもをかわいいと思ったことがないし、自分の子がほしいと思ったこともない。結婚したいとは思っていないけれど子がほしいと言っていた友人もおり、子に関するきもちはさまざまだ。もっと正直に言えば、結婚願望もそれほどなかった。夫のことはすきだけれど一抹の不安もあり、まあ無理だったならひとりに戻ったっていい(もしひとりになったら、さみしいとかかなしいとか言い出すだろうが)。
だが、子どもとなるとそういうわけにもいかない、と思う。なんてったって、命であるし、少なくとも20年くらいは世話をする必要がある。気持ちのうえでも、お金のうえでもそうだ。自分たちの生活も変わる。子を持たない人生と、子を持つ人生をくらべたときに、子を持つ人生のほうが、みずからの経験としてはいいかなと思うが、そんな自分本位の気持ちで命を生みだしていいのだろうか。また親は孫をのぞんでいるだろうし見せてよろこばせたい気持ちもある。どう選択すればいいのか、わからない。
不安な理由はいくつかある。大きな話から言えば、これからの社会は先行き不安だと感じる。じぶんが死ぬまでだって不安なのに、その先を生きるひとのことを考えるともっと不安だ。生活していける給料がもらえる仕事をつづけていけるのか、仕事を終えたときに年金はもらえるのか。海を隔てた国では戦争も起きているが、おなじような状況になったり、そのあおりを受けて不安定な社会になったりしないのか。はっきりと何が、とは言えないが、社会はいい方向に変わっていくようには思えない。なにも行動に移さないで安全な場所から不安だと言っているだけの自分に嫌気もさすが、ここでは措いておかせてほしい。
つぎに、夫と子を育てることについて。知り合いとあそぶときに、子どももいっしょになるときがあるのだが、夫は面倒見がいい。すぐになつかれて、知り合いたちからも面倒見がいいという評価を受けている。だが、それは身内でないからなんだろうなと思う。彼は身内の人間にはきびしいタイプだ。一定の基準があり、それに達しないにんげんには何を言ってもいいと思っている。と感じる。みずからも怒鳴られたり手をあげられたりしたことがあったと言うが、わたしはそれは正しくないと思っていて、そのギャップが不安だ。互いに納得するポイントまで譲歩しあう必要があるが、身内の人間にはきびしいタイプ、というのはわたしに対してもそうなので、それなりに議論ができなければ言い負かされておわってしまう。よくないとは思っているが、じぶんひとりであればある程度はがまんというか、自分があわせればいいやと思ってしまうのだが、子となればそういうわけにもいかないだろう。口で話すのはとくいでないのだが、どうしたものだろうか。
さいごに、わたしはわたしが嫌いなので、その血を引いた子も自分のことを嫌いになるような性格に生まれてしまうのではないかと不安だ。両親はわたしをかわいいと言い、どちらかといえば、蝶よ花よと育てられたと思う。また父も母も、わたしがみる限りでは、みずからがみずからのことを好きでいるように思う。それなのに自分は自分が嫌いだ。顔もかわいくないし、やせてもいないし、自分のことを好きでもいられない性格だし。周りのひとたちはそんなことないと言ってくれる。客観的に見れば、たぶん、それほど卑下するような人間ではない。でもわたしはわたしのことが好きになれず、ここからふっといなくなってぜんぶおしまいになって、でも周りのひとびとのなかにはわたしがいなくなったらかなしいひともいるだろうから、ひとびとの記憶はわたしがいない体で書きかわったりどうにかなってしまえばいいのになと思うことがある。自分が思っている分にはそれなりに生きていくかとあきらめもつくが、もし友人などがそんなことを思っていたらかなしい。よって、こんな思考になってしまうにんげんの子も似たような思考になる可能性があるのであれば、じぶんの遺伝子をもった子を生みたくはない。
冒頭では結婚した、というあかるい話をしたはずなのに、思いがけずくらい話になってしまった。いまは好きに仕事をしているが、両立できるのかどうかも不安だ。写真は、ひとり暮らしの家のなぞのスペース。ひろい机みたいになっていて、いま思えばけっこう好きな空間だった。
2024年1月のこと
かなり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。1月、あっという間に終わっていました。平日は仕事、休日は引っ越し先を探したり、契約を進めたり、新年会で遅くまで飲んで土曜日がつぶれたり、していました。
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どこかの回で、鑑賞した本と映画の数について話したと思うので、2023年の結果も書いておこうと思う。結果は、本13冊、映画4本、合計17作品。過去3年は26、27、25だったことからすると、だいぶ減ってしまった。一昨年あたりからYouTubeにハマってしまったのが、減った原因のひとつであるように思う。
自由に使える時間は有限だが、観たいコンテンツ、聴きたいコンテンツはほぼ無限に存在する。そして、時間は有限だと理解しているつもりでも、楽なコンテンツに流れてしまうように思う。たとえば家にいるとき、Twitterをひらいてタイムラインを眺めたり、iPadでYouTubeを見ながらiPhoneでゲームのデイリーミッションをこなしたり、アプリで漫画を読んだりしているうちに30分以上経ってしまうことがよくある。自分は本を読みたいと思っている(と信じたい)のに、SNSや動画やスマホゲームに比べると、本を開くまでに時間がかかってしまっている。そのせいかわからないが、ずっと思考が浅いまま日々を過ごしている気がする。
どういう人になりたいかとか、どういう人生にしたいかとか、そのためにはどうすべきかとか、もっと考えなければいけないことはたくさんある気がするのに、流れるコンテンツを消費することで時間を埋めてしまっている。文學界2023年10月号、国分功一郎と若林正恭の対談では、暇(スコレー)を持つことで、考えたり調べたりする時間が生まれ、その過程の先に民主主義の実現があるというようなことを言っていた。暇があれば経済や哲学を考えたり学んだりして、現状がなにかおかしいことに気付いてしまうから、人々を支配したい企業や政府は暇を作らせない方向に進む。そして今の若い人は暇な時間をネットなどのエンタメで埋めてしまう傾向にあり、それは暇に慣れていないからだという。
なにもしない時間が落ち着かずただスマホを見てしまい、考える時間というのがなくなり、結果ほんとうに自分がやりたいことがわからなくなって、なにかに追われているような気持ちになっているのが、今の状態という気がする。いまこの考えて書いている時間は、暇を暇として享受できているのではないかと思った。
くまのプーさんじゃないけれど、なにもしないをする時間を持つようにしてみたい。音楽も聞かずにただ散歩するとか、ゆっくり湯舟につかるとか、テレビなどを付けないでごはんを食べるとか、目的のない時間を過ごしたい。
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ちょっと前の花はチューリップ。東京はぜんぜん寒くならなくて、冬もきていないのにもう春がきてしまうような、へんなかんじ。ちなみに推しているYouTuberはQuizKnock。賢いひとびとが賢いことをやっていたり、くだらないようなことを真面目にやっていたりとおもしろいので、みなさんぜひ見ましょう。
2023年12月のこと
2023年1月、1か月にいちどはブログを更新するという目標を掲げて、今回で12回目、目標達成といえる。途中、書けなかった月もあったが、10月と11月に2回ずつ書いて、あわせて12回書くことができた。12月の分はほんとうはもっと年末に、今年のふりかえりも兼ねてかくほうがよいと思うのだが、休日はすでに予定がはいっていたり、平日は書く気になれなさそうだったりするので、今年の更新はこれでさいごになると思う。来年どうするかはまた考えることにする。週に5日の仕事と、2日の休日をただ過ごしていると、文章を書くのは仕事のメールだったり資料だったりばかりになってしまうので、たまには気のむくまま文章をつらねていくのもわるくないというのがこの1年の感想だ。とはいえ、そんな日常では書くこともそれほどなくて、いつもパソコンに向かっては、いったいなにを書こうか、と悩んでいたのであった。
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去年の今ごろは、仕事がいやでいやで、転職しようとさえ考えていたと思う。そこから異動して今はと言えば、おだやかすぎて逆に心配になっている。量もたいして多くないし、質もそれほど難易度が高くない。と思う。受け身な姿勢かもしれないが、もっと指摘なり助言なりをしてほしいと感じる。そこそこうまくやっているのだとは思うが、よくないところがないというわけではあるまい。もう新人というわけではないがまだ若手かなと思っているけれど、それを上司や先輩に求めるのはまちがいなのだろうか?彼らも忙しい身であるので、部下や後輩にいちいちアドバイスしていられないのだろうことはわかる。ただ先輩はともかく上司は、部下を育成することも業務のひとつなのではないのだろうか。
次年度は異動することはなさそうなので、いまの部署でどうすれば成長できるか、考えて過ごさないといけないなと思う(仕事で「成長」なんて言うと暑苦しい気がするけれど、ほかにいいことばが見当たらなかった)。
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来年は、プライベートでは変化のある年になる。気づけば付き合いはじめて5年、プロポーズされてから1年も経った恋人と、とうとう籍を入れることになる予定だからだ。いまは遠距離だけれど、3月くらいからはいっしょに住みはじめる。いっしょに住んでいたこともあるので、生活に関してはあまり心配していないが、いちどは別れようと思ったこともあるので、長い目で見たときのじぶんのきもちのほうが心配である。仕事がきびしいひとなので、あのときは同じ職場だったから嫌になったのだと信じたい。
このように書くと不安なように見えるが、さいきんは家を探したり、指輪を買いに行ったりすることをたのしんでいる。いっしょに住むことがたのしみ。
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ふと今思ったが、こうしてじぶんの話ばかりしているからブログに書くことがなくなるのだろうか。来年も続けるなら、読んだ本とか、見に行った展覧会とか映画とか、そういうものごとのことも書くようにしようかな。
少し早いですが、読んでくれたみなさま、よいお年を。
旅行と方言のこと
先日、家族と恋人と岡崎・伊勢へ旅行をした。岡崎は、母が「どうする家康」を見ており、その舞台のひとつである岡崎城を訪れたいと希望したため。もともと歴史に興味がうすい母だが、榊原康政を演じる杉野遥亮のファンであることをきっかけに「どうする家康」を見はじめた。伊勢は、何年か前に家族旅行で訪れたものの、お伊勢さんマラソンにより内宮に行くことができなかったため、再訪することとなった。
わたしの実家は仙台なのだが、仙台といっても田舎、海のほうにあり、父は訛りの強いほうだ。地元ではたらいているからか、弟も訛りが強くなってきている。母もそれなりに訛っているし、わたしも家族と話しているとつられて濁音が多くなる。いつもなら「あそこにいた」というものを、「あそこ さ いだ」などと無意識に言っていることに気づいた。そんな家族の会話に放り込まれた関東出身の恋人は、ときどき困惑していたが、教えてもらって意味がわかるとたのしそうにもしていた。
仙台弁(と括っていいものかわからないが、わかりやすいのでこう呼ぶことにする)の中には、標準語(こちらもこう呼んでいいのかわからないが、ここではこう呼ぶ)と単語は同じだが意味がちがうものがあり、それがよく使うものだったりする。知らない単語よりも、知っているけど意味がちがう単語のほうがむずかしいと、恋人は言っていた。旅行中に話題になったのは、「だから」、「いき(ぎ)なり」、「なげる」あたりだろうか。わたしもある程度の年齢までは、方言と知らずに使っていたと思う。大学生になるときには、さまざまな出身のひとが集まってくるため、伝わらない可能性があるから使わないように気をつけていた。
「だから」は同意。「そうだよね」と同じ。ただ標準語では、他人の発言に対して「だから」と言ったら「だから何?」の意味になってしまう。「んだがら」などといかにも方言のように発音されればまだわかりやすいのだと思うが、「だから~!」などと言われると混乱するのだと思う。これは若い人でも使っているという感覚がある。
「いき(ぎ)なり」は、旅行中に頻出していた。「急に」の意ではなく、「とても」の意。よく考えれば「すごい」、「めっちゃ」などと言うことが多いのだから、同じ意味の「いきなり」も頻出するのは当たり前か。ただ、「急に」のときも「いきなり」なので、「いきなり雨が降ってきた」になると、どちらの意味なのかは文脈がないとわからない。
「なげる」は気づいたらわたしも発していておどろいた。「捨てる」の意味。
「どけて」は、伊勢の旅館で母が弟に言ったことば。夕食のあとに部屋で飲んでいるときに、弟がふたつの布団にまたがって寝そべっていたのだが、じぶんの布団を使いたかった母が、弟に向けて言った。わたしには違和感がなかったのだが、恋人が不思議そうなかおをしていたので尋ねると、「どけて」とは言わず、「どいて」と言う、「どけて」と言われたら何をどけてほしいんだろうと思う、とのこと。たしかにそうかもしれない。この場合の「どけて」は弟が移動してほしいという意味、つまり「どける」と「どく」を区別せず使っている。ものを移動させるのも、ひとを移動させるのも同じ語彙。
また、「こいつ」「そいつ」「あいつ」「どいつ」を、ものにも使うことに気づかされた。「そいづ/あいづとってけろ」と言えば、「それ/あれをとって」のことだし、「こいづうめえな」と言えば「これおいしい」のことだし、「おれのどいづや?」といえば「おれのはどれ?」ということになる。
「どく/どける」にしろ、「これ/こいつ」にしろ、恋人からの指摘がなければ気づかなかった。仙台弁(少なくともわたしの家族のなか)では、違和感のない言い方。このふたつの事象から、仙台弁はひとともののあいだが曖昧なのだろうか、などと考えていた。「だれ」が「なに」と同じく感嘆詞として使われることもある。国語学を専攻していたが方言は専門としていなかったので、あまり明るくないことが悔やまれる。というか、すでにこんなことは指摘されていることなのかもしれない。ただ、実際の体験を通してそう思えたことが、なんとなくたのしかった。
2023年11月のこと
さいきん、なんとなく調子がわるい。まえと変わらず寝ているはずなのに帰りの電車でうとうとするくらいねむかったり、土日は気を抜くと半日くらいTwitter(いまはXか)やInstagramをながめてすごしてしまったり。じぶんの中では後者のほうが心配。休日は読書やら美術館に行くやら、やりたいことがたくさんあるはずなんだけれど。原因のひとつは、金曜日のよるについつい飲みすぎてしまって、翌日動きたくなくなっていることだと思う。だんだんお酒がよわくなっている気がする。
よわくなっている気がするのに量を控えられないのはなぜなのか。わたしはふつか酔いにはなるが、当日にあたまが痛くなったりきもちわるくなったりすることが少ない。ゆえに、ついつい翌日にもちこしてしまう量をこえてしまう、のだと思う。ふつか酔いになってから2週間くらいは、理性がはたらいて量をセーブすることができるのだが、それ以降はそのきもちを忘れてしまって……のくりかえし。
また、ひとと電話しながら飲んでいるとき(恋人と遠距離なので、電話することが多い)、手元があそんでしまって、ついついお酒やたばこに手がのびて量がふえていることに気がついた。ひとりで飲んでいたはずなのに翌日しんどい思いをすると、ひとりで飲んでいるのに飲みすぎるなんて、自分はなんて馬鹿なのだろう……と惨憺たるきもちになる。気づいたので、なにか手慰みになるようなものを用意しておきたいところだ。
酒とのつきあいが下手という話になってしまった。とくに書く内容を決めずに書きはじめているので、まっさきに出てくるということはわりと悩んでいることなのかなと思う。酒を飲むようになって、母に「酒は飲んでも飲まれるな」と言われたが、いまは完全に飲まれている。父が飲まれるタイプ、母は飲まれないタイプなので、わたしが父のようにならないように言ってくれたのだろうと思う。気をつける。
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よきものになりたい、いつかはよきものになれるように暮らしていきたい、という思いがわたしの奥底にある。川上弘美の言っていた「よきもの」。いまの生活態度は、よきものから外れているなと思う。
「よきもの」という言葉ばかりがあたまにあって、どの小説のどんな文脈で出てくるのか忘れてしまっていたが、調べてみたら『いとしい』のさいごのほうだった。「川上弘美 よきもの」と調べてわかるのだから、インターネットの力ってすごい。『いとしい』は本棚のいちばん表側(川上弘美の本は、すべていちばん表側にならんでいる)に文庫のものがあったので手にとってみる。裏のあらすじを読んでみるが、まったく内容をおぼえていなくておどろく。次に、読書の記録をつけているノートを開いてみる。2016年7月に読了したとの記録があるので、どうやら読んだことがあるようだ。
ここで、再読したいけれど時間がないな、と思った。ほんとうに?もちろん、学生のころよりは趣味にさける時間が減っているのはたしか。文系の暇な大学生だったわたしは、そこそこあった空きコマの時間をほとんど読書に充てていたように思う。仕事には空きコマはないし、あっても読書をしてよい時間にはならない。でも、時間がないと思うのは、自由な時間があるかどうかだけではない気がする。XやInstagramなどのSNS、YouTubeのような動画サイト、漫画アプリなど、てばやくたのしめるものが増えていて、それらはスマホなど手に取りやすいものからアクセスできて、さくっと楽しめてしまう。時間がないと言いつつも、スナック菓子をつまむようにそれらをたのしんでいる。しかも延々とおすすめが流れてきて、かんたんに時間がすぎていってしまうのだ。
「よきもの」になるためにも、『いとしい』を再読するためにも、そういったものとはよい距離感でいたい。(まったく見ないようにする、というのはなかなか難しいと思う。)
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画像は今週の花。きれいな色。