2024年2月のこと

 2024年2月29日、うるう日に入籍した。まだいっしょには住んでいないこともあるかもしれないが、どうも実感がわかない。新しい姓と名前がならぶ文字面に違和感がある。まだいっしょには住んでいないし、変わったことといえば、左手薬指に常にゆびわをはめるようになったことくらいか。これまでは3人称を「彼氏」と言っていたが、「夫」などと言うことになるのだが、気恥ずかしくて口に出せていない。

 会社の先輩などに結婚をしたことを報告すると、たいてい子どもはどうするかと聞かれる。夫とかるく話した際には、彼は子がほしいと言っていた。正直わたしは、これまで子どもをかわいいと思ったことがないし、自分の子がほしいと思ったこともない。結婚したいとは思っていないけれど子がほしいと言っていた友人もおり、子に関するきもちはさまざまだ。もっと正直に言えば、結婚願望もそれほどなかった。夫のことはすきだけれど一抹の不安もあり、まあ無理だったならひとりに戻ったっていい(もしひとりになったら、さみしいとかかなしいとか言い出すだろうが)。
 だが、子どもとなるとそういうわけにもいかない、と思う。なんてったって、命であるし、少なくとも20年くらいは世話をする必要がある。気持ちのうえでも、お金のうえでもそうだ。自分たちの生活も変わる。子を持たない人生と、子を持つ人生をくらべたときに、子を持つ人生のほうが、みずからの経験としてはいいかなと思うが、そんな自分本位の気持ちで命を生みだしていいのだろうか。また親は孫をのぞんでいるだろうし見せてよろこばせたい気持ちもある。どう選択すればいいのか、わからない。

 不安な理由はいくつかある。大きな話から言えば、これからの社会は先行き不安だと感じる。じぶんが死ぬまでだって不安なのに、その先を生きるひとのことを考えるともっと不安だ。生活していける給料がもらえる仕事をつづけていけるのか、仕事を終えたときに年金はもらえるのか。海を隔てた国では戦争も起きているが、おなじような状況になったり、そのあおりを受けて不安定な社会になったりしないのか。はっきりと何が、とは言えないが、社会はいい方向に変わっていくようには思えない。なにも行動に移さないで安全な場所から不安だと言っているだけの自分に嫌気もさすが、ここでは措いておかせてほしい。

 つぎに、夫と子を育てることについて。知り合いとあそぶときに、子どももいっしょになるときがあるのだが、夫は面倒見がいい。すぐになつかれて、知り合いたちからも面倒見がいいという評価を受けている。だが、それは身内でないからなんだろうなと思う。彼は身内の人間にはきびしいタイプだ。一定の基準があり、それに達しないにんげんには何を言ってもいいと思っている。と感じる。みずからも怒鳴られたり手をあげられたりしたことがあったと言うが、わたしはそれは正しくないと思っていて、そのギャップが不安だ。互いに納得するポイントまで譲歩しあう必要があるが、身内の人間にはきびしいタイプ、というのはわたしに対してもそうなので、それなりに議論ができなければ言い負かされておわってしまう。よくないとは思っているが、じぶんひとりであればある程度はがまんというか、自分があわせればいいやと思ってしまうのだが、子となればそういうわけにもいかないだろう。口で話すのはとくいでないのだが、どうしたものだろうか。

 さいごに、わたしはわたしが嫌いなので、その血を引いた子も自分のことを嫌いになるような性格に生まれてしまうのではないかと不安だ。両親はわたしをかわいいと言い、どちらかといえば、蝶よ花よと育てられたと思う。また父も母も、わたしがみる限りでは、みずからがみずからのことを好きでいるように思う。それなのに自分は自分が嫌いだ。顔もかわいくないし、やせてもいないし、自分のことを好きでもいられない性格だし。周りのひとたちはそんなことないと言ってくれる。客観的に見れば、たぶん、それほど卑下するような人間ではない。でもわたしはわたしのことが好きになれず、ここからふっといなくなってぜんぶおしまいになって、でも周りのひとびとのなかにはわたしがいなくなったらかなしいひともいるだろうから、ひとびとの記憶はわたしがいない体で書きかわったりどうにかなってしまえばいいのになと思うことがある。自分が思っている分にはそれなりに生きていくかとあきらめもつくが、もし友人などがそんなことを思っていたらかなしい。よって、こんな思考になってしまうにんげんの子も似たような思考になる可能性があるのであれば、じぶんの遺伝子をもった子を生みたくはない。

 冒頭では結婚した、というあかるい話をしたはずなのに、思いがけずくらい話になってしまった。いまは好きに仕事をしているが、両立できるのかどうかも不安だ。写真は、ひとり暮らしの家のなぞのスペース。ひろい机みたいになっていて、いま思えばけっこう好きな空間だった。



2024年1月のこと

 かなり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。1月、あっという間に終わっていました。平日は仕事、休日は引っ越し先を探したり、契約を進めたり、新年会で遅くまで飲んで土曜日がつぶれたり、していました。

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 どこかの回で、鑑賞した本と映画の数について話したと思うので、2023年の結果も書いておこうと思う。結果は、本13冊、映画4本、合計17作品。過去3年は26、27、25だったことからすると、だいぶ減ってしまった。一昨年あたりからYouTubeにハマってしまったのが、減った原因のひとつであるように思う。
 自由に使える時間は有限だが、観たいコンテンツ、聴きたいコンテンツはほぼ無限に存在する。そして、時間は有限だと理解しているつもりでも、楽なコンテンツに流れてしまうように思う。たとえば家にいるとき、Twitterをひらいてタイムラインを眺めたり、iPadYouTubeを見ながらiPhoneでゲームのデイリーミッションをこなしたり、アプリで漫画を読んだりしているうちに30分以上経ってしまうことがよくある。自分は本を読みたいと思っている(と信じたい)のに、SNSや動画やスマホゲームに比べると、本を開くまでに時間がかかってしまっている。そのせいかわからないが、ずっと思考が浅いまま日々を過ごしている気がする。
 どういう人になりたいかとか、どういう人生にしたいかとか、そのためにはどうすべきかとか、もっと考えなければいけないことはたくさんある気がするのに、流れるコンテンツを消費することで時間を埋めてしまっている。文學界2023年10月号、国分功一郎と若林正恭の対談では、暇(スコレー)を持つことで、考えたり調べたりする時間が生まれ、その過程の先に民主主義の実現があるというようなことを言っていた。暇があれば経済や哲学を考えたり学んだりして、現状がなにかおかしいことに気付いてしまうから、人々を支配したい企業や政府は暇を作らせない方向に進む。そして今の若い人は暇な時間をネットなどのエンタメで埋めてしまう傾向にあり、それは暇に慣れていないからだという。
 なにもしない時間が落ち着かずただスマホを見てしまい、考える時間というのがなくなり、結果ほんとうに自分がやりたいことがわからなくなって、なにかに追われているような気持ちになっているのが、今の状態という気がする。いまこの考えて書いている時間は、暇を暇として享受できているのではないかと思った。
 くまのプーさんじゃないけれど、なにもしないをする時間を持つようにしてみたい。音楽も聞かずにただ散歩するとか、ゆっくり湯舟につかるとか、テレビなどを付けないでごはんを食べるとか、目的のない時間を過ごしたい。

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 ちょっと前の花はチューリップ。東京はぜんぜん寒くならなくて、冬もきていないのにもう春がきてしまうような、へんなかんじ。ちなみに推しているYouTuberはQuizKnock。賢いひとびとが賢いことをやっていたり、くだらないようなことを真面目にやっていたりとおもしろいので、みなさんぜひ見ましょう。

 

2023年12月のこと

 2023年1月、1か月にいちどはブログを更新するという目標を掲げて、今回で12回目、目標達成といえる。途中、書けなかった月もあったが、10月と11月に2回ずつ書いて、あわせて12回書くことができた。12月の分はほんとうはもっと年末に、今年のふりかえりも兼ねてかくほうがよいと思うのだが、休日はすでに予定がはいっていたり、平日は書く気になれなさそうだったりするので、今年の更新はこれでさいごになると思う。来年どうするかはまた考えることにする。週に5日の仕事と、2日の休日をただ過ごしていると、文章を書くのは仕事のメールだったり資料だったりばかりになってしまうので、たまには気のむくまま文章をつらねていくのもわるくないというのがこの1年の感想だ。とはいえ、そんな日常では書くこともそれほどなくて、いつもパソコンに向かっては、いったいなにを書こうか、と悩んでいたのであった。

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 去年の今ごろは、仕事がいやでいやで、転職しようとさえ考えていたと思う。そこから異動して今はと言えば、おだやかすぎて逆に心配になっている。量もたいして多くないし、質もそれほど難易度が高くない。と思う。受け身な姿勢かもしれないが、もっと指摘なり助言なりをしてほしいと感じる。そこそこうまくやっているのだとは思うが、よくないところがないというわけではあるまい。もう新人というわけではないがまだ若手かなと思っているけれど、それを上司や先輩に求めるのはまちがいなのだろうか?彼らも忙しい身であるので、部下や後輩にいちいちアドバイスしていられないのだろうことはわかる。ただ先輩はともかく上司は、部下を育成することも業務のひとつなのではないのだろうか。
 次年度は異動することはなさそうなので、いまの部署でどうすれば成長できるか、考えて過ごさないといけないなと思う(仕事で「成長」なんて言うと暑苦しい気がするけれど、ほかにいいことばが見当たらなかった)。

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 来年は、プライベートでは変化のある年になる。気づけば付き合いはじめて5年、プロポーズされてから1年も経った恋人と、とうとう籍を入れることになる予定だからだ。いまは遠距離だけれど、3月くらいからはいっしょに住みはじめる。いっしょに住んでいたこともあるので、生活に関してはあまり心配していないが、いちどは別れようと思ったこともあるので、長い目で見たときのじぶんのきもちのほうが心配である。仕事がきびしいひとなので、あのときは同じ職場だったから嫌になったのだと信じたい。
 このように書くと不安なように見えるが、さいきんは家を探したり、指輪を買いに行ったりすることをたのしんでいる。いっしょに住むことがたのしみ。

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 ふと今思ったが、こうしてじぶんの話ばかりしているからブログに書くことがなくなるのだろうか。来年も続けるなら、読んだ本とか、見に行った展覧会とか映画とか、そういうものごとのことも書くようにしようかな。
 少し早いですが、読んでくれたみなさま、よいお年を。

今週の花。冬っぽい見た目。

 

旅行と方言のこと

 先日、家族と恋人と岡崎・伊勢へ旅行をした。岡崎は、母が「どうする家康」を見ており、その舞台のひとつである岡崎城を訪れたいと希望したため。もともと歴史に興味がうすい母だが、榊原康政を演じる杉野遥亮のファンであることをきっかけに「どうする家康」を見はじめた。伊勢は、何年か前に家族旅行で訪れたものの、お伊勢さんマラソンにより内宮に行くことができなかったため、再訪することとなった。

訪れた際の岡崎城

 わたしの実家は仙台なのだが、仙台といっても田舎、海のほうにあり、父は訛りの強いほうだ。地元ではたらいているからか、弟も訛りが強くなってきている。母もそれなりに訛っているし、わたしも家族と話しているとつられて濁音が多くなる。いつもなら「あそこにいた」というものを、「あそこ さ いだ」などと無意識に言っていることに気づいた。そんな家族の会話に放り込まれた関東出身の恋人は、ときどき困惑していたが、教えてもらって意味がわかるとたのしそうにもしていた。

 仙台弁(と括っていいものかわからないが、わかりやすいのでこう呼ぶことにする)の中には、標準語(こちらもこう呼んでいいのかわからないが、ここではこう呼ぶ)と単語は同じだが意味がちがうものがあり、それがよく使うものだったりする。知らない単語よりも、知っているけど意味がちがう単語のほうがむずかしいと、恋人は言っていた。旅行中に話題になったのは、「だから」、「いき(ぎ)なり」、「なげる」あたりだろうか。わたしもある程度の年齢までは、方言と知らずに使っていたと思う。大学生になるときには、さまざまな出身のひとが集まってくるため、伝わらない可能性があるから使わないように気をつけていた。
 「だから」は同意。「そうだよね」と同じ。ただ標準語では、他人の発言に対して「だから」と言ったら「だから何?」の意味になってしまう。「んだがら」などといかにも方言のように発音されればまだわかりやすいのだと思うが、「だから~!」などと言われると混乱するのだと思う。これは若い人でも使っているという感覚がある。
 「いき(ぎ)なり」は、旅行中に頻出していた。「急に」の意ではなく、「とても」の意。よく考えれば「すごい」、「めっちゃ」などと言うことが多いのだから、同じ意味の「いきなり」も頻出するのは当たり前か。ただ、「急に」のときも「いきなり」なので、「いきなり雨が降ってきた」になると、どちらの意味なのかは文脈がないとわからない。
 「なげる」は気づいたらわたしも発していておどろいた。「捨てる」の意味。

 「どけて」は、伊勢の旅館で母が弟に言ったことば。夕食のあとに部屋で飲んでいるときに、弟がふたつの布団にまたがって寝そべっていたのだが、じぶんの布団を使いたかった母が、弟に向けて言った。わたしには違和感がなかったのだが、恋人が不思議そうなかおをしていたので尋ねると、「どけて」とは言わず、「どいて」と言う、「どけて」と言われたら何をどけてほしいんだろうと思う、とのこと。たしかにそうかもしれない。この場合の「どけて」は弟が移動してほしいという意味、つまり「どける」と「どく」を区別せず使っている。ものを移動させるのも、ひとを移動させるのも同じ語彙。
 また、「こいつ」「そいつ」「あいつ」「どいつ」を、ものにも使うことに気づかされた。「そいづ/あいづとってけろ」と言えば、「それ/あれをとって」のことだし、「こいづうめえな」と言えば「これおいしい」のことだし、「おれのどいづや?」といえば「おれのはどれ?」ということになる。
 「どく/どける」にしろ、「これ/こいつ」にしろ、恋人からの指摘がなければ気づかなかった。仙台弁(少なくともわたしの家族のなか)では、違和感のない言い方。このふたつの事象から、仙台弁はひとともののあいだが曖昧なのだろうか、などと考えていた。「だれ」が「なに」と同じく感嘆詞として使われることもある。国語学を専攻していたが方言は専門としていなかったので、あまり明るくないことが悔やまれる。というか、すでにこんなことは指摘されていることなのかもしれない。ただ、実際の体験を通してそう思えたことが、なんとなくたのしかった。

2023年11月のこと

 さいきん、なんとなく調子がわるい。まえと変わらず寝ているはずなのに帰りの電車でうとうとするくらいねむかったり、土日は気を抜くと半日くらいTwitter(いまはXか)やInstagramをながめてすごしてしまったり。じぶんの中では後者のほうが心配。休日は読書やら美術館に行くやら、やりたいことがたくさんあるはずなんだけれど。原因のひとつは、金曜日のよるについつい飲みすぎてしまって、翌日動きたくなくなっていることだと思う。だんだんお酒がよわくなっている気がする。
 よわくなっている気がするのに量を控えられないのはなぜなのか。わたしはふつか酔いにはなるが、当日にあたまが痛くなったりきもちわるくなったりすることが少ない。ゆえに、ついつい翌日にもちこしてしまう量をこえてしまう、のだと思う。ふつか酔いになってから2週間くらいは、理性がはたらいて量をセーブすることができるのだが、それ以降はそのきもちを忘れてしまって……のくりかえし。
 また、ひとと電話しながら飲んでいるとき(恋人と遠距離なので、電話することが多い)、手元があそんでしまって、ついついお酒やたばこに手がのびて量がふえていることに気がついた。ひとりで飲んでいたはずなのに翌日しんどい思いをすると、ひとりで飲んでいるのに飲みすぎるなんて、自分はなんて馬鹿なのだろう……と惨憺たるきもちになる。気づいたので、なにか手慰みになるようなものを用意しておきたいところだ。
 酒とのつきあいが下手という話になってしまった。とくに書く内容を決めずに書きはじめているので、まっさきに出てくるということはわりと悩んでいることなのかなと思う。酒を飲むようになって、母に「酒は飲んでも飲まれるな」と言われたが、いまは完全に飲まれている。父が飲まれるタイプ、母は飲まれないタイプなので、わたしが父のようにならないように言ってくれたのだろうと思う。気をつける。

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 よきものになりたい、いつかはよきものになれるように暮らしていきたい、という思いがわたしの奥底にある。川上弘美の言っていた「よきもの」。いまの生活態度は、よきものから外れているなと思う。
 「よきもの」という言葉ばかりがあたまにあって、どの小説のどんな文脈で出てくるのか忘れてしまっていたが、調べてみたら『いとしい』のさいごのほうだった。「川上弘美 よきもの」と調べてわかるのだから、インターネットの力ってすごい。『いとしい』は本棚のいちばん表側(川上弘美の本は、すべていちばん表側にならんでいる)に文庫のものがあったので手にとってみる。裏のあらすじを読んでみるが、まったく内容をおぼえていなくておどろく。次に、読書の記録をつけているノートを開いてみる。2016年7月に読了したとの記録があるので、どうやら読んだことがあるようだ。
 ここで、再読したいけれど時間がないな、と思った。ほんとうに?もちろん、学生のころよりは趣味にさける時間が減っているのはたしか。文系の暇な大学生だったわたしは、そこそこあった空きコマの時間をほとんど読書に充てていたように思う。仕事には空きコマはないし、あっても読書をしてよい時間にはならない。でも、時間がないと思うのは、自由な時間があるかどうかだけではない気がする。XやInstagramなどのSNSYouTubeのような動画サイト、漫画アプリなど、てばやくたのしめるものが増えていて、それらはスマホなど手に取りやすいものからアクセスできて、さくっと楽しめてしまう。時間がないと言いつつも、スナック菓子をつまむようにそれらをたのしんでいる。しかも延々とおすすめが流れてきて、かんたんに時間がすぎていってしまうのだ。
 「よきもの」になるためにも、『いとしい』を再読するためにも、そういったものとはよい距離感でいたい。(まったく見ないようにする、というのはなかなか難しいと思う。)

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 画像は今週の花。きれいな色。

 

おくれてきたなつやすみのこと

 10/12から明日、10/18までなつやすみを取得している。ほんとうは、10/13~15は旅行に行くはずだったのだが、運わるくインフルエンザになってしまったため家でのんびりするのがメインのやすみになった。いまとなっては、これもこれで充実していたと思うので、家でできる趣味をもっていてよかったなと思う。どうせだしブログを更新するぞと思い立ってみたものの書くこともないので、なつやすみのことについて書いてみる。

◇1日目
 実は誕生日だった。ほんとうなら恋人に祝ってもらっているはずだったのに、とちょっとさみしかった。ただ、予定がぜんぶおじゃんだ、といちばんかなしんでいたのは熱が高かった2日前くらいのことのような気がする。この日にはもう、家でなにをしようかななどと考えていたので切り替えがはやいというか、あきらめがよいというか。まだ微熱があってのどの奥がずっと乾燥しているようなかんじで時たま咳が出るので、ずっとマスクをして過ごしていた。Twitter(まだXと呼ぶことに慣れない)のタイムラインを延々見たり、録画していたバラエティ番組を見たり、眠くなったらひとねむりしたり、ほとんどベッドのうえでだらだらしたのんきな動物のようだった日。体調がわるいことをいいことに、うどんや雑炊のほかに、すきなだけ桃缶やアイスを食べていた。

◇2日目
 ほぼ平熱になり、家のなかでげんきにしていた。行った美術館の感想をルーズリーフに書いて、パンフレットや作品リストとともにおさめておくファイルと、読んだ本・観た映画の感想を書くノートがあるのだが、美術館のほうは3か月ほど前、本のほうは10か月ほど前で更新が止まっていたので、それらをせっせと更新した。10か月ほど前、つまり2023年になってから一度も読書・映画感想ノートをひらいていなかったらしい。1月や2月に読んだ本のことはこまかくおぼえていなかったので、その本をふたたびめくっているあいだに日が暮れてしまった。なんとか9月くらいまでたどり着いた。2023年になってから9冊と4作品しか読んで観ていなかったのが救い(?)。本はほとんどが文學界。その月の文學界を読まないと、べつな本が読めない、と趣味なのにひいひい言っている。ちなみにいまは9月号を読んでいる(いちばん新しいのは11月号)。
 ふと、感想ノートをふりかえってまとめてみたのが下の表。よくあることと言えばそうなのかもしれないが、社会人になってから数ががくんと減っている。1年目は半分くらいは研修で定時にあがっていたので、時間が取りやすかったのだろう、数としては多いままである。ここ最近は、年に30作品と思っているのだがなかなか目標に到達できないでいる。さて、2023年はどうなることであろうか。10月時点で13から、盛り返せるのだろうか。

◇3日目
 そろそろからだを動かすかと近所の川べりをさんぽした日。水辺はすきだ。どの季節でも水が光を反射したり、まわりの風景をうつしたりしている様子がすきだ。ひるまの光できらきらしているのも、夕方や夜になって、まわりの街灯のひかりが反射しているのもすきだ。さいきん気づいたのだが、絵画でも水辺がかがやいているものには特にこころをひかれる。
 また、毎年のことだが金木犀のにおいに触れ、秋だなあと思った。
 さんぽの帰りにはスーパーに寄って買いものをして、ひさびさにカレーをつくった。ナンやラッシーがついてくるインドカレーのお店にも2か月に1回くらい行きたくなるが、どっさりつくって何日も食べる家カレーもすきだ。カレーライスやカレーうどんやカレーとトーストで、今日もまた食べている。
 夜、気になっていた少女革命ウテナを見はじめる。1話から決闘シーンの「絶対!運命!黙示録!」の歌にやられる。6話くらいまで見る。

◇4日目
 掃除、洗濯、散歩をおこない、少しずつにんげんらしい生活を取り戻しはじめる。なぜか近所のGUでニットと帽子を買う。きのうつくったカレーとともにワインを飲み、夜中までウテナを見る。25話くらいまで見る。途中でベッドに寝ころんだらそのままねむってしまった。

◇5日目
 朝から夕方までウテナを見て、39話完走。めちゃくちゃおもしろかった。そのあと考察を読みふける。世界を革命する力ってなんだったんだ、ウテナはどうなってしまったんだ、など疑問は尽きないが、アンシーは救われたようなので、きっとウテナと再会してよき友として生きてゆくのだろうと考える。
 さいきんのものがたりは分かりやすく勝ったり救われたりするものが多いと感じるけれど、わからなさをそのままにしておくものがたりもいいなと思う。狭い範囲しか知らないくせに、「さいきんのものがたり」だなんて言ってしまっていいのだろうかとも思う。たとえばチェンソーマンなんかは、分からないまま第二部に突入しているではないか。さいきんはわかりやすいものがたりが好まれているという言説を、たいした例も挙げられないまま、信じこんでいるだけではないのか。どこかで見た言説を、なんとなく自分の中でもそんな気はするのだけれど、気がするだけでそうだと言ってしまっていいのだろうか。会社で書いた論文を、たまたま査読者として読んだ知り合いの先輩から、あいかわらず主張が弱いね、と言われたことは、わたしのこの迷いと無関係なのだろうか。なにかを論じたいときに、それはわたしの思い込みではないだろうか、ほかの主張をしているひとがいるのではないだろうか、と考えてしまうのはなぜなのだろうか。これは弱さなのだろうか。
 主張と主張するにんげんを切り離せないのは、あまりよくないことだとわかってはいる。たぶんそれは、じぶんがじぶんの主張を否定されたときに、じぶん自体を否定されたと思ってしまうからなのだと思う。自分が否定されたくないゆえに、自分の主張も強くできない。書いているうちに、じぶんの中の結論に近いものがでてきておどろいている。

◇6日目
 ふとした拍子にあたまの中で、「♪絶対!運命!黙示録!」が鳴る。国立西洋美術館キュビスム展を訪れる。ピカソやブラックの、灰色や茶色の時代はおもしろくないと思っていたが、すこし遠くから見たら重なりが見えたような気がしてなんだかおもしろかった。ロベール・ドローネーの《パリ市》が大きくて色彩もきれいでよかった。大きい絵画はそれだけでも興奮する。写真ではわからないようなおおきさを体験するのがだいすき。ジャック・ヴィヨン《行進する兵士たち》はステンドグラスのような、ふれたら割れる薄氷のような雰囲気がよかった。白とピンク色と紺色の色彩も印象にのこる。きもちに余裕があったので、ひさしぶりに常設展もふらふらできてよかった。

◇7日目
 明日まで休みだが、夜はたいへんだったプロジェクトの打ち上げがあるのでなんだか休みのような気がしなくてそわそわしている。

2023年10月のこと

 きのうから、遅めのなつやすみに入った。7月から9月にかけて、ちょうどプロジェクトが忙しくなる時期だったので、おおくのひとが夏季休暇を取得する時期にはとることができなかった。時期がずれるということは、どこに行くにもそれほど混まないときにどこかへ移動したり、あそんだりできるということなので、それはそれでいいかなと思っていた。


 しかし、10/8の夜から発熱、10/9も下がらず、10/10に病院へ行って検査したところ、インフルエンザに罹っていたことがわかった。なつやすみの予定が……!とかなりショック。ほんとうは、きょうから福岡に旅行に行く予定だったのである。いまは熱は下がり、残る症状といえば少し咳が出るくらいなので、こうして机にむかって文章を書くことができている。しかしきのうまでは熱がうっすら引かないでいて、どうにも旅行にいくことができる体調ではなかった。インフルエンザといえば、熱がさがってから2日間おけば外にでられるというイメージがあるので、10/11朝に平熱になっていれば、行ってもよいのでは……?と淡い期待をもっていたが、そもそも熱が下がらなかった。インフルエンザのときのほんとうの待期期間ってどうなのだろうと思って調べてみると、「発症した後5日を経過し、かつ、解熱した後2日(幼児にあっては、3日)を経過するまで」というのは学校保健安全法で決められている、つまりおとなには適用されるわけではないもので、おとなに適用される法律はないことがわかった。目安としては、発症後3~7日間は外出を控えよ、とのことらしい。


 ちなみに福岡旅行は恋人と行く予定で、福岡に転勤になった会社の先輩(わたしと恋人の共通の知り合い)に会って、おすすめの屋台にでも連れていってもらおう、あとは大宰府とか観光もしよう、という趣旨のものだった。そしてわたしと彼はいまいっしょに住んでいるわけでもないので、彼まで行かない理由は特になく、先輩も予定を空けてくれているわけだし、先輩に連絡してみればひとりでもくれば?と言ってもらっているわけだし、行けばいいのではと提案して、彼はひとり福岡へ行くことになっている。正直うらやましい、というか妬ましいというか、後ろ暗い感情がみずからのうちに潜んでいる気がするが、じぶんが病気になったせいなので、どこにもぶつけようがない。楽しんできてね、と、これはこれで本心のLINEを返すばかりである。かなしいようなさみしいような気分になっているのは、きのうがわたしの誕生日だったことも少なからずかかわっているだろう。ひとりで寝込んですごす誕生日になるなんて思っていなかった。ほんとうなら、おいしいものでも食べてたのしく過ごしていたであろうに。


 とはいえ、熱が高かったときはなんで今、とか、なにかわるいことしたっけ、とか暗いきもちになっていたが、いまはこれはこれでいいか、どうせ家から出る元気もしばらくないし、本を読んだり文章を書いたり、のんびりすごそうじゃないかという気分になっている。あとひとつ知見を得たのは、インフルエンザになったら、キャンセル不可のプランであっても飛行機がキャンセルできて払い戻しが受けられるということ。航空会社にもよるようだが、搭乗日は飛行機に乗れない旨がわかるような診断書が必要とのこと。わざわざ病院に用意してもらってわざわざ取りに行った。行きはジェットスター、帰りはスカイマークの予定だったのだが、ジェットスターは手数料(国内線だと640円)を引いた額がバウチャーで返金されることとなった。スカイマークはキャンセル・払い戻し自体は病気でなくても可能だが、手数料が5500円かかる。ただインフルエンザなどの場合は、診断書を提出すればその5500円も戻ってくるとのこと。航空会社によって対応が異なることも知る。予約していたホテルは前日までキャンセル代がかからなかったし、行けなくなったのに支払わなくてはならないお金はほぼなさそうでひと安心。


 来週半ばまでのなつやすみ、前半は家でゆっくりするつもりだが、後半は平日の美術館をたのしんだりできればなと思っている。あとは、何回かさぼっている分もういちどブログを更新できればと思う。添付は日曜日に買ったへんてこな花。南国っぽいかんじとオレンジですこし元気が出る。