2026年6月のこと

 妊娠22週、6か月目の半ば。妊娠期間も後半戦に入ったようだ。2週間ほど前は、胎動を感じはじめる頃というがぽこぽことおなかが動くのが胎動なのか、じぶんの腹の虫なのか、どうにも確信が持てなかったが、最近はなんとなく違いがわかってきた。動いていると、ちゃんと生きてるんだな、よかったな、という気持ちと、自分の中にじぶんとはちがう生きものがいる不思議さを同時に感じる。

 最近は目がさめるのがはやい。妊娠の影響なのか、仕事もせずつかれも少ないからなのかわからないが、5時半ころに目が覚めてそのまま起きて過ごしている。夫は寝ているのでテレビや動画を見るのは憚られるが、美術館や本の感想ノートをまとめる、読書をする、絵を描く、ブログを書くなど、自分がやりたかったことが自然に手につく時間になっている。

 朝にものごとに取り組むのも好きだったことを思い出す。高校生、受験生のとき、23時に寝て、5時に起きて勉強して、はやめに家を出て学校の自習室に行って勉強して、授業を受けて、放課後も自習室で勉強して、20時ころ家に着いてまた23時には寝て……という生活をしていたことを思い出す。誰に強制されたわけでもなかったが、そのようにして勉強時間をとっていた。そのときは震災の影響で仮設住宅に住んでおり、アコーディオンカーテンで仕切られた空間が自分の部屋と呼べるものだったのだが、朝っぱらからごそごそいう音で起こされた(かもしれない)家族を思うと、ちょっぴり申し訳ない。塾も行かず浪人もせずに合格できたので、そこは親孝行だと思って許してほしい。

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 ここ最近、出産時の処置や、経膣検査や乳がん検診の痛みのことがXのタイムラインに流れてくる。こんな風にされて痛かった、というコメントを見るたびに不安になる。麻酔をしないのは、麻酔をしなくても痛みを我慢させれば処置や検査を完了できてしまうから。麻酔をしても点数にならずお金にならないから。麻酔をする方向にすすまないのは、長年のジェンダーバイアスにより、その痛みは痛くないもの、もしくは我慢できるものと見なされているから……。

 タイムラインに流れてくる理由がほんとうのことかはわからないが、これだけ痛いという声をあげるひとが多いのであれば、痛い(ことがある)のはほんとうのことなのだろう。うまくことが運べば、あと4カ月のあとわたしも出産することになる。鼻からすいかが出るという出産時の痛みだけではなく、その後の処置も痛いのか。痛いのはこわい。

 文學界で連載されていた頭木弘樹の「痛いところから見えるもの」で、痛みを言葉にすること、ひとに伝えることは難しく、他人の痛みをほんとうに理解することも難しい(できない)と語られていたことを思い出す。現在は2割程度が女性だそうだが、医師は男性が圧倒的に多かったし、多い。現場の医師の数がそうということは、点数であったり、ガイドラインであったり、そういう決まりをつくる場に参加するのは男性が多いという状況は昔から変わっていないと思われる。また、決まりをつくるひとたちはその痛みがわからないのだから、女性特有の痛みに対する議論があまり進んでこなかったと想像される。

 いまはXで(少し?おおいに?)話題になっているだけだと思うが、現実の議論のきっかけになってくれればいいのに、と思う。

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 学校に通うのが、残りわずかとなった。来週くらいから就活をする。ちゃんと決まって、7月半ばくらいから働くのが理想だ。校正プロダクションの選考では実技試験が課される会社がほとんどで、わたしが受けようとしているところも実技試験がある。どの程度のレベルなのか、わたしは通用するのか、不安だ。先日、学校の就職面談2回目があり、その会社の試験は学校に通っていればそこまで難しくないレベルだし、修了生の合格率も6~7割と聞いているが、それでも不安はのこる。定期テストがあったり、成績がでたりするわけではないので、学校に通うひとたちの中で自分がどのレベルにいるのかわからないからなのだろうか。

 とはいえ、はたらくのは楽しみだ。自分がやったことのない分野に飛びこんでいくことは、わくわくする。そういう意味では、子どもがいる生活というのも、不安はあるけれど少しは楽しみなのかもしれない。自分ではない人間、コントロールできない存在とかかわって、よい方向に導かなければならないこと、とても長い期間でみる必要があること、仕事や趣味みたいにやめることができないことなどが、不安のほうを大きくさせているのかなと思う。

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 前回から1か月で行った展覧会は以下のとおり。8個も行っていておどろく。平日に自由がきくうちに行っちゃうぞ~!という気持ちで週に2個くらい行っている。チュルリョーニスがだいぶよくて、図録を買ってしまった。音楽の素養があったらより楽しめたのかな。でもヒルマ・アフ・クリントを見たときのような、大きなものに触れているようなかんじがたのしかった。

  • 国立西洋美術館のチュルリョーニス展&北斎 富岳三十六景展
  • サントリー美術館の河鍋暁斎展
  • 東京ステーションギャラリーのカール・ヴァルザー展
  • 太田記念美術館の広重展
  • SOMPO美術館のブーダン展
  • 静嘉堂文庫美術館の懐石のうつわと茶の湯展
  • 東京藝術大学美術館の日美50年展
  • 東京都美術館のアンドリュー・ワイエス展

 また、いま柚木麻子の『BUTTER』を読んでいるのだが、めちゃくちゃおもしろい。最初は、バター醤油ごはんおいしそう……(実際じぶんでも食べた)、料理の表現がすばらしいな……と思っていたが、料理、食、女性、恋愛、家族、親子、結婚、妊娠、友人など、いろいろな要素がいろんな人たちを通して語られていて、読み進めていくうちにもっと引き込まれている。のこり1/3くらい、どういう結末を迎えるのか気になるが、終わってしまうのもさみしい。こういうのが読書の愉しみのひとつだよな、と思わせてくれる作品。読み終わったらしっかりふり返りたい!

先週の花。芍薬は好きで、毎年1度は連れ帰りたくなる

2026年5月のこと

 5月に入り、だいぶあたたかくなってきた。アウターの必要な季節はとうに終わり、長袖だと暑い時間帯もあるような、かといって半袖だと寒い時間帯もあるような気温がつづいている。

 1か月も経つと悩みは変わるもので、つわりはすっかり終わって気持ち悪さはなくなり食欲ももどってきた。目下気になっているのは体重と体形、着るものである。少しおなかが出てきたが、これは妊娠の影響なのか、ただ太ったのか。体重計に乗っては増えてきたことを喜べばいいのか悲しがればいいのか。着替えてみれば、このパンツもあのスカートもチャックが閉まらない。「妊婦 体重増加」、「妊娠○○週 おなかの大きさ」などと調べる日々である。

 着られる服がなくなってきたのがいちばん困っているかもしれない。もともと、ウエストゴムでらくなパンツよりもゴムがなくてすっきりしたものを好んでいたし、トップスをインして着ることが多かった。つまり、少しおなかのサイズが変わると、とたんに入る服が少なくなってしまう。おなかを目立たないようにしたいのに、インして着る前提の短め、かつゆとりが少ないトップスばかりが手元にある。

 特に調べたおぼえもないのにInstagramで流れてくるようになった妊婦むけ情報にでてきた、妊婦におすすめというGUのリブパンツを買ったり、ふわっとしたチュニックを買ったり、少しずつ着られそうな服を増やしている。

 産後に使わなくなるのも癪なので、なるべく好きだなと思えるものを購入するようにしているつもりだが、実際に着るかどうかは来年のわたしに聞いてみないとわからない。体形がもどらずにこれまでの服のほうが着られなくなってしまった……なんていうかなしいオチもありそうだけれど。

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 引き続き通っている学校のほうは、校正・出版の基礎知識、基礎実技の講義はほぼ終わり、7月に控えている検定試験の過去問を解くかたちで技術を高めているかんじ。講義は6月末までで、これまで3か月弱通っていて、あと1か月半くらいしかない。1回1回をだいじにしなきゃな……などと殊勝なことも思ったりする。

 先日就職にむけた面談があり、いまの状況を伝えてどんな方向性があるのか相談した。そもそも校正で正社員の口は少ないし、この状況で採用してくれるわけもないし、フリーランスの方向で就職活動をしたほうがいいのかなと考えていたが、それがベターらしい。

 学校を修了したあとあまり期間が空かないよう、6月のうちから校正プロダクションに応募し、7月から9月までの短いあいだでも実務経験を積み、産後おちついたら在宅メインで仕事ができるようにするのがいいのではないか、とのことだ。不安もあるが、なんとかやってみたいと思っている。

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 この1か月で行った展覧会もざっと振り返ってみる。週1くらいのペースで行っていたようだ。

1.下村観山展(東京国立近代美術館)

 下村観山のなまえは知っていたが、しっかり見るのははじめてだと思う。はじめてのときは1冊本を読んでから行くのが好きだったはずなのだが、ここ数年はその習慣がとぎれてしまっている。が、前段の知識はなくても思ったよりぐっときて、後期展示も行きたいなと思ったほど(結局行かなかったけれど)。

 前半は年代ごとに、後半は人や社会とのつながりから見たテーマに沿って展示されていた。いちばん印象にのこるのは《小倉山》。角を曲がって目に入った瞬間に時が止まったようだった。大きめの二双一曲の屏風で、右隻は鬱蒼とした秋の林、左隻はその林がつながっているものの、左にいくにつれて木々や葉の密度が薄くなり余白がとられている。右隻には男がひとり座っているが、その目線は抜けるように余白のほうに伸びていて、余韻をのこすような表現になっている。木々や植物の表現が美しく、特に垂れ下がる蔓とそれに連なる赤い葉たちがきれいで、しばらく見つめていた。

 ほかには《木の間の秋》、《弱法師》、《白菊翁》が好きだった。大きくてしずかな画面の中に呑まれるような体験だった。《四眠》でぐんにゃりとねむる龍はかわいかった。

 東京国立近代美術館に行くときは企画展のあとに常設にも行ってみるのだが、企画展ですでにへろへろになっておりしっかり鑑賞できたためしがない。いつだったか常設だけを目当てに行ったときも満足度が高かったため、また常設を目的に訪れたい。

 

2.クロード・モネ――風景への問いかけ(アーティゾン美術館)

 予想通り混雑していた。が、平日朝イチの回だったのでおそらくましなほう。1周したら最初に戻って、2周目は好きだった作品を中心にじっと見るのだが、2周目は明らかにひとが増えていた。土日はたいへんなことになっているだろうな、やっぱりモネは人気だなと思う。

 《かささぎ》をはじめとした雪の作品がよかった。雪の色は白だと思ってみるのだが、近づいてよく見るとさまざまな色が使われていておどろく。遠ざかるとちゃんと雪に見える。モネの作品は遠くから見るのと近づいて見るのとでちがう発見があり、遠くからも近くからも見るのがすきだ。

 《ルーアン大聖堂 扉口 朝の太陽》、《ルーアン大聖堂 扉口とサン=ロマン塔 陽光》など、連作がならべて展示されていたのもよかった。連作、どれも心惹かれる。

 

3.光琳派 国宝「燕子花図」と尾形光琳のフォロワーたち(根津美術館)

 《燕子花図》は根津美術館で毎年春に展示されているようだが、見るのははじめて。下村観山のときにも思ったが、でかい絵、でかい屏風は好きだ。となりに弟子の渡辺始興の燕子花図も展示されていて、くらべて見られるのがおもしろかった。渡辺始興のものの方が、燕子花が細密に描かれていて好き。始興の《四季花鳥図押絵貼図屏風》もよかった。植物や鳥が描かれているのだが、木の幹や岩はいわゆる水墨画のように筆の太さやかすれを活かして描かれているが、花や鳥は写生的にこまかく描かれていて、そのコントラストがおもしろい。

 

4.トワイライト、新版画――小林清親から川瀬巴水まで(三菱一号館美術館)

 小林清親と川瀬巴水の2人がメインの展示だと勘違いしていて、小林清親のパートが思ったよりはやく終わって別の人のパートに移ったので混乱した。そこでタイトルをちゃんと読んで、2人展ではないのかと納得。

 小林清親は前に太田記念美術館で見たときから好き。光と影や揺らぎを版画で表現した、光線画と呼ばれる作品たちがかなりいい。特に、夜の暗さと光を描いた《高輪牛町朧月景》、《大川岸一之橋遠景》、《新橋ステンション》などがよかった。

 これまで知らなかったが、チャールズ・W・バートレット《牛臥》、高橋松亭《雪月花 徳持》、伊東深水「近江八景」シリーズなんかもよかった。新版画も深堀りして学びたい。観山もそうだけれど、近代日本画について興味が湧いている今日このごろ。

 2階に降りると吉田博の作品が! 何年か前に東京都美術館で開催されていた吉田博展を見てから好きで、作品をiPadの壁紙にしているくらいなので、ばったり出会えてかなりうれしかった。「帆船」のシリーズは同じ版木で異なる色を使って制作されているとのことで、モネの連作も彷彿とさせる。わたしは時間や光、その変化が感じられる作品が好きなのだなと思う。「帆船」の中では、朝の情景の太陽の光がいちばん印象に残っている。

三菱一号館美術館と薔薇

2026年4月のこと

 なにか書きたいという気持ちが常にうっすらあるものの、習慣づけられずにまた間が空いてしまった。
 仕事をやめることを決めてなんとか引継ぎなどを行い、1月から有給消化に入り2月いっぱいで正式に職場を離れた。スクールに通いつつ、次の就職にむけてどちらかといえばうきうきで準備をしている時期であるはずなのだが、不安いっぱいで過ごしている。今回はその不安や憤りのようなものを文字にして整理したくて書いているところがあるので、なかば愚痴のような内容になると思う。

 実は、妊娠した。夫と結婚して2年になったところであり、これまた喜ばしいことであるはずだが、手放しでよろこべない。わかったとき、どうすんだよ、という気持ちがいちばんに出た。もともと子どもがほしいとは思っていなかったし、仕事をやめて無職のタイミングだし。夫は子どもを望んでいたし、互いの両親もよろこぶだろうことはわかっていたし、子どもがいる人生経験に興味がないわけではなかったが、自分自身はほしい気持ちに傾いたことはなかった。以前に書いたような気がするが、そこから大きく気持ちは変わっていなかった。

 妊娠がわかったとき、案の定、夫はよろこんだ。呑気なもんだなと思う。言ってないけど。

 あるとき、セックスするとき子どもができるように気合入れてたんだよね。みたいなことを言われた。そのときは笑って流したが、は?と思った。わたしの意思は?からだを痛めて産むのはわたしなんだけど?てか仕事やめたタイミングでどうする気なの?仕事してたら産休育休期間もお金もらえるけど、ここから6月までスクールに行って、秋に出産を控えているひとが就職できないよね? ……夫には言っていない。

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 妊娠11週となり、少し前にくらべるとつわりが落ち着いてきたような気がする。ただ、体のだるさや眠気を感じることが多く、ままならないことがもどかしい。

 体の変化などを書いておくと、5週くらいで吐き気を感じた。最初は原因がわからず、とりあえず胃薬を飲んでごまかしていたが、5日ほど続いたため妊娠検査薬で検査してみると、陽性。翌週病院に行き、正式に妊娠と診断された。妊娠の検査が自費診療となることにおどろく。病気ではなく正式な生理現象と定義されているためだそうだが、なんだか納得できない。さっと調べてみた感じだと、外国では無料の国もあるようだ。病気じゃなくたって、病院にいってきちんと検査、検診が必要である事象であるのだから、保険適用にしてくれたっていいのにと思う。これらの制度をつくっている国は子どもを増やしてほしいくせに。

 吐き気はあるが実際吐くわけではなく、いわゆる「食べづわり」。おなかが減ってくると気持ち悪さが増すので、間食にバナナや食パン、ドライフルーツやゼリーなどを食べる。甘いものやすっぱいものはだいたい食べられ、果物や野菜、パン、アイスなどはおいしい。おすすめの食べものとしてフライドポテトが挙がっていて、揚げものなんて食べられるのか?と半信半疑でポテトを買ってきたらおいしく食べられておどろいた。

 夫が作ってくれた料理が食べられないのに、次の日に試してみたマクドナルドのハンバーガーのセットは食べられて、なんだか申し訳ないきもちになる。いろいろ試していくうちに、肉や魚はあまり受け付けないが、ハンバーガーのようなジャンキーな味付けのもの、麻婆豆腐や担々麺のような、刺激がつよいものは、比較的食べられるとわかる。

 また、かなり眠りが浅くなった。内容はあまりおぼえていないが、朝方に悪夢をみて目が覚める。たいてい起きる時間の1~2時間くらい前なので、また少しねむるが、つぎにアラームで目が覚めるときはすっきり起きられなくて気持ちよくない。

 夕方から夜にかけて眠気を感じることが増えた。生理中にも、夕方くらいにつよい眠気を感じることがままあったが、それと似たような眠気。夜の眠りが浅いほかに、ホルモンバランスの乱れとかそういう類も原因になっているのだろうなと思う。

 眠気のほかだるさが強い日もある。吐き気がある、眠い、だるい、が日によって割合を変えてやってくる。今日は調子いいな、と思っても次の日はぜんぜんダメということもあり、ままならない。仕事はしていないので、これらの症状によって仕事に支障がでるということはないのだが、スクールででた課題をやるのがしんどくて困る。ほんとうは課題だけではなくて復習の時間も取りたいのだが、課題をやるので精一杯の状態だ。

 美術館に行ったあと買いものもしようとか、美術館2個行っちゃおうとか、外出するときは複数の予定をたてることが多いのだが、だるさのせいなのか、横になって過ごしている時間が増えて体力がおちているせいなのか、1つの予定しか満足にこなすことができない。

 先日病院のあと美術館に行ったら、鑑賞している最中にへろへろになってしまい、何度もベンチに座って休憩しながらの鑑賞となった。それほど混雑していなかったので、それでもゆっくり見られたのはよかった。再来週、アーティゾン美術館のモネ展を予約しているのだが、はたしてしっかり見ることができるのだろうか……。

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 スクールの期間は6月いっぱいで、そのあと働くつもりだったのだが、10月下旬に出産予定日を控えるいまの状態では、すぐに正社員として就職するのは難しそうだ。もともとはどこかの正社員となって働くことを考えていたのだが、どうするか再検討が必要である。スクールでは、5月くらいから就職相談もしてくれるようなので、とりあえず相談してみようと思う。最初からフリーランスとしてはたらくこともできるようだが、最初は出社が必要になりそうという話も聞いていて、その時期のじぶんの状況も読めず、もやもやとした未来を呆然とながめているような状態である。

 仕事をやめなかったら、もしくは転職したあとだったら、産休・育休に入って、その期間も手当はもらえて、休み明けは時短かもしれないが復帰して、とあまり心配はなかったのだが。正直タイミングがわるい。

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 3月下旬、あるタレントのイベントに参加したいという母と、その付き添い(?)で父が東京にあそびにきていて、妊娠したことを伝えた。母と話しているときに、仕事やめなきゃよかった、とこぼしたら、去年は占いがわるかったのに決めるから、みたいなことを言われていらだちをおぼえた。入っていたプロジェクトが1年くらいしんどくて、上司に相談しても共感はしてくれるが改善はしなくて、このままじゃメンタルを壊してしまう、その前に逃げなくてはと思ったから、悩んだ末に決めたことなのに、何も知らないくせに占いに従わないせいだなんて言うのか。

 母は、家族は自分の言うことを聞くべきだと思っている。本人は自覚していないと思うが、占いのことだって、自分が信じている占いというものを、家族はみな信じるべきである。それに従わないなら悪い結果になって当然である。と無意識に思っているのだ。

 里帰り出産という手もあるよ、という言いかたで、里帰り出産を勧められた。夫も基本テレワークなのであれば、いっしょにこっちに帰ってきたらいいではないか、だそうだ。無理である。妊娠がわかってから会う前までは、東京で産んだらすぐに頼れる相手もいないし、里帰りもありなのかな、どうしようかな……と迷っていたのだが、会ってみたら絶対に里帰りはしないという決意がかたくなった。

 母はよくしゃべる。母、父、夫、わたしの4人で行動していても、8割くらいは母が話をしている。しかも何度も同じ話をするし、それ聞いたよなどと指摘しようものなら、じゃあもうあたしはしゃべらないからいいです、などと拗ねる。なのでうんうんと聞いているしかないのだが、だんだん聞いているのもしんどくなってくる。両親が帰ってから、とても疲れているのを感じた。夫も疲れたと言っていたが、わたしよりもっと気を遣って疲れていたであろう。こちらが元気なときは、多少疲れていても向こうに機嫌よくいてもらうことができるが、出産前後はこちらも精神状態がよくないはずで、その中で母が自分の話ばかりしてこようものならたまらない。しかも同じ家にいたら逃げ場もない。何度会ってももう一緒には住めないなと感じるのに、育児しながら生活をともにできることがあろうか。

 また先ほども言ったように、みな自分の言うことを聞くべきだと思っているので、育児にあたってもああだこうだと口を出してくるだろう。おそらく最新の情報を調べることはせず30年前の知識で語ってくるだろうから、こちらも言う通りにしたくないことが多々出てくると思う。だが無視していれば、なんで言う通りにしないのかと、言うとおりにするまで口を出しつづけることが目に見えている。口を出すだけならいいが、手も出してきそうなのが怖い。やりたいこと、やりたくないことを、なされてしまうのではないか。

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 もやもやをもやもやのまま書いた。アメリカがイランを攻撃したことで、原油が日本に入ってこなくなり物資の供給が滞る可能性があるなど、子どもを産み育てるのによくない環境になりつつある不安についても書こうと思っていたのだが力尽きた。少し未来のわたしがこれを読んで、あのときは不安だったなあ、と笑っていれば幸いである。

近所のさくら通りでみた桜

2025年8月のこと

 今年はお盆の時期にとった夏休み。夏休み期間中さいごの平日であるきょう。夫は家で仕事をしているため外に出たく、ベローチェに入ってこれを書いている。パソコンより軽そうだなと思い、iPadとキーボードを持って外に出た。すぐには書く気にならず、ずっとならないならそれはそれでいいかと少し本を読み、やっぱり書こうかなという気になったのでiPadを立ちあげた。キーボードを接続しようと思ったのだが、なかなかつながらない。ふと裏側を見ると、電池が入っていないのだった。仕方なくソフトキーボードでこれを書いている。

 iPadのソフトキーボードはふつうのQWERTY配列なので入力じたいは思ったよりも苦ではないのだが、どの指がどのキーにあたっているかよくわからないため手元をみていなければならず、入力まちがいが多い。

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 大学生のころ、おしゃれなカフェにいくのがすきだった。ひとつの趣味ですらあったと思う。いろいろ行ってみた結果、なんとなくコーヒーの味の好みが芽ばえた気がする(それまではコーヒーはコーヒー味としてしか捉えられていなかったが、酸味より苦味がつよいほうがすきだと思うようになった)。仙台で大学生をしていたわたしがカフェめぐりをするうえでお世話になっていたサイトがある。「CAFE SEN」というサイトで、仙台駅周辺のカフェをエリア別にまとめてくれていた。そのころ仙台駅周辺をすみかとしていたので、そのサイトはたいへんありがたく、掲載されているお店にすべて行くことを目標にカフェめぐりをつづけていた。

 結局すべては行けなかったと記憶しているが、なんだか懐かしくなり、またサイトを見てみようと探してみた。結論、サイトはなくなってしまったようだ。それらしきXのアカウント(https://x.com/cafe_sen)や、CAFE SENのスタッフブログらしきもの(https://ameblo.jp/cafesen)は見つかったのだが、そこからHPのリンクをたたいてみても、なにやらあやしいサイトにつながるばかりで、わたしが見ていたサイトは見つからないのだった。

 さて、そんなわたしだが、今はチェーンのカフェにばかり足がむいてしまい、おしゃれなカフェに行こうと思わなくなってしまっている。大学生のころは、コーヒーも高いしケーキなんか食べたらもっと高いと思っていたのに、いろいろなカフェに行こうとしていた。いまは社会人になって、カフェに行くくらいのお金のくびきからは解きはなたれたはずなのだが、ベローチェドトールなどチェーンのカフェにばかり入ってしまう。仙台から東京に出てきて、おしゃれなカフェなら山のようにあるはずなのに。

 なんでかなと考えてみると、なりたいようすとか、やりたいことが変わったのかなと思う。おそらくあのころは、カフェめぐりを趣味としておしゃれなカフェに行くようなひとになりたかった。今は、カフェに行くときは外で読書をしたり書きものをしたいときで、カフェ自体をたのしみたいとは思っていないと思う。ほんとうはカフェに行くことを目的としておしゃれなカフェに行きたい自分も残っているのかもしれないが、大学生のころと比べるとそれに割く時間がとれなくなっていて、その自分がでてこられないだけなのかもしれない。でもそうでもないような気もする。

 外で読書をするのに、ベローチェドトールはちょうどいい。本やパソコンをひろげているひとが他にもたくさんいて、店員さんも含めて、だれも自分のことを気にしていないからかもしれない。

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 ほんとうは江之浦測候所に行ったことを書こうと思ったのだが、いろいろ書いているうちに力尽きてしまったのでまたこんど。写真を1枚だけ載せておきます。

冬至光遥拝隧道からみた海

 

2025年7月のこと

 なにかを書きたいという気持ちはあれど、書くことを日常にできていないわたしは、書くことを目標にしたり、大きな情熱を持つものができたりしないと、書くことをつづけることができないらしい。社会人になってからは、プラス心の余裕がないと、書くこと以外もままならないと実感する。仕事が忙しかったり、プレッシャーが大きかったりすると、それ以外の時間は回復や生活に充てるだけで終わってしまう。

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 最近の参院選に関する話題と、夫とそのあたりの話をしたことから、自分じしんの考えを言語化する必要があると思い至り、本来はひとに見せなくたってよいのだがなぜかこうして公開している。

 ざっくりいうと夫は、他者をメリット/デメリットで判断するらしい。例えば、生活保護を受けている人は努力していないからそうなった、努力していないのだから、税金を使って保護する必要はない、メリットがない、と言う。わたしは、それに激しく反対の気持ちを持ったのだが、反論する根拠や材料がなく、感情の問題じゃん、と言われて終わってしまった。
 でもぜったいに違うと思った。その先にはひとりひとりの人間がいて、他者からの意味付けやメリット/デメリットで切り捨てられていいわけがない。
 彼の視点、かつ、メリット/デメリットの土俵に立てば、社会的弱者は切り捨て、より生産性がある立場の人々に保障なりをするのがメリットのように思える。でもよく考えれば、そもそもメリット/デメリットの土俵で語るべき問題ではない。しかしあのとき彼と話していたわたしは、メリット/デメリットの地平で戦おうとしてしまい、理由を見つけられなかった。その土俵には立たずに意見を述べるべきだったのだが、それができなかった。また語る材料を持たないことに気づき、不勉強を恥じた。

彼の意見はおおむね以下のようなことだった。
生活保護を受けている人は努力していないからそうなった。努力していないのだから、税金を使って保護する必要はない。メリットがない。そういう人々じしんが努力をすればいい。
・人間以外の動物だったら弱い存在は切り捨てられるのだから、人間がおかしい。また海外でも手厚い社会保障をしている国ばかりではない。よって日本も社会的弱者を保護する施策は減らしたってかまわない。
・いまの年金受給者が年金を多くもらっていることに違和感はない。なぜなら、彼らは高度経済成長で身を粉にして働いてきたからである。努力した人々への報いはあるべきだ。

 ChatGPTの力も借り、違和感を掘り下げてみる。わたしはなぜ、これらの主張に反対の意見を持つのか。ChatGPTからは、人間の尊厳は条件付きではないから。人を人として尊重するには、"役に立つかどうか"で判断していけないという倫理的な直観があるから。というような回答が返ってきた。合っていそうである。
 わたしはこれまでに、人間の尊厳は条件付きではない、人はただ人として尊重されるべきだという思想を見てきた、学んできたからこのように思うのだと考えるが、では、どのような歴史的背景や思想があるのか。以下のような回答を得られた。

  1.  カントの倫理学:「目的としての人間」
     人間性を、決して単なる手段としてのみ用いるのではなく、常に同時に目的として扱わなければならない。人間はそれ自体として尊重されるべき「目的」である。
  2.  ホロコーストと「人権」の再定義
     第二次世界大戦(特にナチスによるホロコースト)は、「人間の価値を条件付きで決めた社会」が生んだ最大の悲劇。ユダヤ人、障がい者、LGBTQ、共産主義者など、「国家にとって役に立たない」とされた人々が抹殺された。その反省から生まれたのが、1948年の「世界人権宣言」。【世界人権宣言 第1条:すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である。】生産性・貢献度・国家の都合ではなく、「生まれた時点で尊厳がある」という明確に宣言している。
  3. ハンナ・アーレント:「権利を持つ権利」
     ホロコーストを逃れた政治思想家ハンナ・アーレントも、「人の役に立つかどうか」で命が選別された体験から、人権の根源について考察している。彼女は「人権とは、生きていることに基づいて持つべき“権利を持つ権利”である」と述べた。つまり、「国民だから」とか「生産できるから」ではなく、ただ「世界に存在している」ことが人権の根拠であるべきだ、という思想。
  4. 障害者権利運動:尊厳と生産性の分離
     近年の障害者運動や福祉思想でも、「人間の価値を“機能”で決めてはならない」という原則がある。たとえば、「障害者自立支援法」や国連の「障害者の権利に関する条約(2006)」は、「支援することにメリットがあるか」ではなく、「人間としての生の尊重」が中心にある。これは、「生産性に基づく価値判断」が社会的マジョリティによって押しつけられてきたことへの反発。
  5. 宗教的背景:キリスト教・仏教・イスラームの共通点
     世界の主要宗教でも、「無条件の尊厳」は繰り返し説かれている。
    キリスト教:「神の似姿として創られた人間」だから、すべての人は尊い(創世記1章27節)
    ・仏教:衆生はみな仏性を持つ(無差別な慈悲)
    イスラームアッラーのもとにすべての人間は平等であり尊厳を与えられている(クルアーン17章70節)
    これらはすべて、「人が人を上下に分けてよい」という思想への強い否定でもある。

 これも合っていそうである。人は人として尊重されるべきで、人間の価値を他人が判断してはいけないという主張に対する根拠はこれでいいだろう。
 次に考えたいのは、弱者を助ける必要があるのか、なぜ私たちは社会的弱者を救おうとするのか。自分が弱者になったときにも助けてもらえるように、という考えもありそうだが、それだけではないと思う。

  1. 宗教・思想による影響(倫理的理由)
    キリスト教:「貧しい者への愛」
     西洋では、キリスト教が「貧しい人を助けることは神への奉仕」と教えてきた。中世ヨーロッパでは、教会が施し(チャリティ)を行う機関として機能していた
    ・仏教:「弱き者への慈悲」
     アジアでは、仏教が「すべての命に慈しみを持つべき」とし、困っている人を見捨てるのは悪であるとされた。江戸時代の寺社も、孤児や病人への保護活動をしていた例がある。
    → 人類は古くから“道徳的な行為”として、弱者救済を正当化してきた。
  2. 産業化と都市化による変化(制度的理由)
    ・近代以前:「地域・家族が支える」が基本
     昔の農村では、互助的な仕組み(ムラ社会)があり、共同体の中でなんとか助け合っていた。ただし、排除や差別も強く、「役に立たない」とされる人は見捨てられることもあった。
    ・ 近代以降:「個人化」と「都市化」の進行
    工業化・都市化が進むと、家族や地域が担っていた支援が崩壊。代わりに国家や自治体が「公的に」弱者を保護しなければならなくなった。
    → 社会の仕組みが変化した結果、「見捨てると自分たちに被害が及ぶ」状況が増えた。
  3. 社会契約・民主主義の発展(政治的理由)
    ・19世紀以降:「万人の権利」という思想
     フランス革命アメリカ独立などを契機に、「すべての人に生きる権利がある」という考え方が広まる。国家は、その国民すべてを保護する責任がある、という考え方へ。
    ナショナルミニマム(国家最低保障)
     第二次世界大戦後、英国などで「最低限の生活は国家が保障すべき」という理念が打ち出される(例:ベヴァリッジ報告)。日本でも戦後、「生活保護法」が制定され、国家が国民の命を守るという制度が整備される。
    → 「国民は国家に守られるべき存在」=現代の民主主義国家の大前提。
  4. 実利的・社会安定のため(現実的理由)
    ・弱者を見捨てると治安が悪化する
    ホームレスや失業者が増えると、治安や公衆衛生に悪影響が出る。国家や自治体にとっては、支援の方が「コストが低い」場合も多い。
    ・「誰もが弱者になりうる」ことへの備え
    病気、事故、失業、家庭崩壊…多くの人は人生のどこかで「社会的弱者」になる可能性がある。そのときに支えられる仕組みがなければ、安心して生活できない。
    → 「他人のため」であると同時に、「自分の安心」のためでもある。
  5. 人間の共感・本能的な優しさ(本質的理由)
     社会的哺乳類である人間には、「共感」「助けたい」という感情が生得的に備わっている。幼児は本能的に、他者の痛みに反応して泣いたり、慰めたりする行動をとる。人間の進化においても、「助け合うグループが生き残った」という側面がある。
    → 「弱者を助ける」という行動は、むしろ“人間らしさ”の根幹にある。

 3.で、なぜ国家が保障すべきという考え方になったかわからずに追加で質問。以下のような思想や歴史の積み重ねがあり、人類が選んできた価値観ということだった。

 昔は国家や王は「神に選ばれた存在」とされ、民衆は支配される存在だった。しかし17世紀〜18世紀にかけて、ヨーロッパで「国家とは国民の合意で成り立つもの」=社会契約論が発生。ホッブズや、ロック、ルソーなど。「国家は国民のためにある」「国民の権利を守るのが国家の仕事だ」という思想の基盤となる。
 18世紀末のフランス革命アメリカ独立戦争を通じて、「すべての人は平等で、権利を持っている」という思想が広まる。最初は言論の自由、信仰の自由など、国家が干渉しないことを求める自由権が中心。次に19世紀末〜20世紀、貧困・労働問題が深刻化し、働けない人も生きる権利があり最低限の生活ができなければ自由も意味がないことから、「国家は放っておかず、国民を助けるべき」という社会権の考えが出てくる。
 第二次世界大戦後、戦争と極端な排除主義を経て、「不平等や貧困が、戦争や差別を生む。もっと公正な社会をつくらないといけない」という反省から社会保障の政策が提案、支持されるようになった。

 ここまで生成AIの力を借りて歴史や思想を振り返ってみると、中学生や高校生の社会や倫理の授業で習ったことばかりだ。人文系の学問に意味がないという意見もあるが、やはり意味があると思う。自分が苦しいから、不公平を感じるから、差別や偏った思想が生まれるし支持してしまうのだと思うが、これまでの人類の歩みを知れば、誤りを繰り返してやっとここまできたことがわかる。
 ただ、わたしは自由に考えたり調べたりする時間があるからそう思うのだとも思う。恵まれている。世界では戦争も起きていて、ほんとうにその日生きるのに必死なひともいて、彼らに歴史や思想や、そこからくる理想をに耳を貸す余裕はないだろう。でもだからこそ、みんなが豊かになって学んだり考えたりできるようにすることが理想的な世界につながるのではないだろうか。
 だいぶ大きな話になってしまったが、もうひとつ大事なことがあると思っていて、それは想像力だ。夫の意見では、「努力していないから苦しいのであり、脱するためには個々人が努力すればよい」ということだが、想像力が足りないと思う。家庭環境や教育機会など、そもそも努力以前の前提がひとりひとりちがう。自分が想像できないようなこともある、ということを想像すべきだと思う。

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 考えをまとめるというより、生成AIを使って学んできたことの復習をしたログみたいになってしまった。でも、最近心のどこかでずっともやもやと考えていたことに道筋がつけられて少しすっきりした気がする。結論はないし、そのときの自分の境遇によっても思うことが変わってくるだろうから、ずっと考え続けることになることだけれど。

 参政党についてもすこし触れておく。エコーチェンバーやフィルターバブルという言葉があるように、わたしがXで見るポストは参政党に反対する意見ばかりだ。わたしは反対するのがが正しい意見だと思うが、逆もしかりなのだろう。SNSによる分断。人間は見たいものしか見ない。インターネットの発達やSNSの浸透が、分断を生む温床になってしまっている側面はあるだろう。
 排外主義や反移民から差別を助長するような姿勢、陰謀論疑似科学への接近は、とても賛成できないし強く反対と言いたい。さっき書いたこととも重なるが、自分が苦しいから誰かのせいにしたいという感情の受け皿になってしまっているのだろう。でも誰かのせいにしても世界はよくならない。支持者には、耳触りのいい言葉にだまされないで考えてほしいと言いたい。

 世界は成熟してきたはずなのに、なぜ近年、分断や排外主義が勢力を強める世の中になってきているのか。富の偏在・格差、努力が報われていかない社会、という背景がぼんやり浮かぶが、それはまた今度考えたい。

 

 

2024年6月のこと

 先日、はじめて夫の祖母宅へ行ってきた。祖母宅があるのは長野県の諏訪のほう。長野にはほとんど行ったことがなく、長野に行くには長野新幹線に乗るものだと思っていたが、それは長野市方面へ行く場合のはなしで、東京から諏訪方面に行く場合は新宿から特急・あずさに乗るものなのだという。ということで、新宿まで出て、あずさに乗って移動した。
 あずさに乗った感想は、酔う、ということだ。山梨県や長野県のあたりは山が多いことからカーブも多く、そのカーブでなるべくスピードを落とさずに走るために車体を傾けて走るらしく、その揺れで酔うことが多いのだそうだ。夫はわたしが酔ってからそのことを教えてくれたのだが、はやめに教えてくれればよかったのに、そうしたら先に酔い止めを飲むなど対策ができたのに、と思わずはいられなかった。

 祖母宅に1泊した後、諏訪大社を訪れた。諏訪大社は4つの社に分かれており、諏訪湖の北側に春宮と秋宮、南側に前宮と本宮が位置している。春宮・秋宮は下社、前宮・本宮は上社と呼ばれ、上社と下社のあいだは15kmほど離れているため、すべてを徒歩でまわるのは難しい。事前にレンタカーを調べていたが予約でいっぱいだったため、下諏訪駅近くでレンタサイクルを借りて下社を見たあと、電車で茅野駅に移動し、またレンタサイクルを借りて上社を回るコースとなった。10時半くらいから16時くらいまでかかったと思う。
 最初は秋宮へ。どの社にも、拝殿の周りを4つの御柱が取り囲んでいるのが独特でおもしろい。あの有名な御柱祭で曳かれてきた柱なのだそうだ。拝殿の右に一之御柱、それから時計回りに二之御柱、三之御柱、四之御柱と並んでいて、一之御柱がいちばん大きく、四之御柱になるにつれて小さくなっている。秋宮は神楽殿のしめ縄が大きくて目立つ。拝殿の彫刻も美しい。

秋宮の拝殿。賽銭箱の奥、建物の中の鶴や竹の彫刻も美しかった。

 次は自転車で数分、春宮へ。こちらも拝殿の彫刻がかっこよかった。また、境内から朱塗りの橋を渡って奥へと歩いて行ったところにある万治の石仏も印象的だ。大きな石が体になっていて、頭はその上にちょこんと乗っていて、顔の表情もどこかユーモラス。岡本太郎も絶賛したという造形。仏像はけっこう好きだけれど、こういう雰囲気の仏像ははじめて見たので感動した。石仏へ至るまでの道は川が近く、流れる水の音や葉ずれの音がここちよかった。

春宮の拝殿

万治の石仏。緑に囲まれたよい場所に位置している。

 そのあとは下諏訪駅の近くでうなぎを食べようと思いお店の近くまで行ったのだが、駐輪場に止まっていたバイカー集団に「バイカーが18人もきたから売り切れになっちゃったよ」と言われてあきらめることになった。
 結局昼食は茅野駅に移動したのちに、駅の近くでそばを食べた。そしてまたレンタサイクルを借り前宮へ。秋宮と春宮は下諏訪駅から歩いても行けそうな距離にあるが、前宮と本宮は茅野駅から歩くと1時間弱くらいかかりそうな距離感だった。前宮は駐輪場から階段をけっこう登った先に位置しており、ちょっぴりつかれた。下社の拝殿の彫刻について触れたが、上社は下社とくらべて装飾が少なくシンプルなつくりだと感じた。すぐ横には「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる小川が流れており、さわってみると冷たい。

前宮の拝殿。シンプルですっきりとしたつくり。

 さいごにまた自転車にまたがり本宮へ。いちばん大きな敷地、建物だった。4つの御柱間の距離も離れていて、どこにあるのか探すのに苦労した。4社をめぐりながら御朱印も集めていたのだが、4社すべてを回ると記念品をもらうことができた。年によって記念品は変わっているそうで、2024年は巾着袋であった。さっそく御朱印帳を入れる袋として使うことに。夫はこれまで御朱印には興味がなさそうだったが、今回を期にはじめることとしたらしい。

 本宮の近くにはお土産屋さんや食べ物屋さんなどがあり、ふらふらと見て歩いた。少しおなかも空いており、また長野にきたらおやきを食べたいと思っていたので、野沢菜のおやきを食べられて満足。また干しきくらげや干し山くらげも安かったので買いもとめた。山くらげは夫が料理してくれたのだが、こりこりした食感が好みである。

本宮の鳥居

記念品の巾着。去年はがま口だったらしい。

 というわけで諏訪大社に行った記録。今回はめずらしく写真が多めになった。

2024年5月のこと

 今年はゆるやかに更新しよう、と思っていたら前回の更新からあっという間に2か月経ってしまった。読んでくれている友人が楽しみにしている、と言ってくれたので、やっぱり月に1回くらいはなにか書きたいなと思ってはいる。しかし、前回結婚した、という話を書いたが、ひとり暮らしではなくなってからどうにも書きづらい。夫は構ってほしいタイプのひとで、家にいてもふたりでなにかをすることを好む。本など読みたいときには、これから2時間ほっといてくれ、と宣言してから読むのだが、文章を書くのはなんとなくやりづらい。理由はわからないけれど、彼に見られたり知られたりしたくないという気持ちがある(こんなことを書いてしまっては、なおさらになってしまう)。
 今日は、とくに予定はなかったのだが有給休暇を取得して、ひとり1日中出かけている。そして、めずらしくカフェでPCを開くなんてことをして、これを書いている。原宿の太田記念美術館で「月岡芳年 月百姿」を見て、タリーズでパスタを食べ、SOMPO美術館の「北欧の神秘―ノルウェースウェーデンフィンランドの絵画」を見てきた。いまはアイスコーヒーをおともにベローチェに座っている。美術館のはしごはあたまもからだも疲れるのだが、今日みた展示はどちらも作品数が70点くらいだし、ひともそれほど多くなくゆったりと見ることができたし、あいだに休憩もはさめたし、疲れより充実感のほうがつよい。どちらの美術館もそれほど大きくはないのだが、落ちついて見ることができることが多くて好きだ。

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 ここで最近行った展覧会を振り返ってみようと思う。
 まずは麻布台ヒルズギャラリー「オラファー・エリアソン展」。オラファー・エリアソンは、たしか去年国立新美術館で開催されていたテート美術館展ではじめて知って、気になっていた。特に印象にのこっているのは、《瞬間の家》というインスタレーション作品。天井から何本かのホースが吊り下げられていて、そこからいきおいよく水が噴き出している。ホースは支えもなく垂れ下がっているだけなので、水の勢いに合わせて絶え間なくかたちを変えている。同時に噴き出た水も常に動きまわっている。展示空間は暗いのだが、つよい光が明滅しており、わたしたちは光っている瞬間だけ水のかたちを見ることができる。水はそのときだけ固定されたように目に飛び込んできて、そのかたちを見ることができるのはその一瞬だけ。それがとてもドラマチックで、非日常を体験させてくれて好きだった。いつまでも見ていたくて、しばらくさまざまな水のかたちを眺めていたと思う。ほかの作品やアーティストが話している映像などを見て、彼は作品をつくる準備をして、仕上げは自然のちからに任せていて、自然と協働して作品をつくっている/つくりたいと思っているのだなと思った。

 東京都美術館印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵」では、アメリカの印象派と呼ばれる画家たちの作品をはじめてちゃんと認識して見て、めちゃくちゃいいじゃん!と思った。とくに好きだったのは、チャイルド・ハッサムの《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》。何が、と考えてもぜんぜんことばが出てこないのだけれど、絵の前に立った瞬間、好きだと思った。ブルーのガウンの女性と黄色いチューリップの色合いがいいなあとか、静かな空気感がいいなあとか思うんだけれど、なにかわからぬ引力を感じた作品。〈窓〉シリーズのなかの1つということなので、ほかの作品も見てみたい。モネやルノワールなどいわゆる印象派の画家の作品も展示されていて、ウスターの《睡蓮》も美しかった。

 国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は、国立西洋美術館としてはじめての現代アートの展示だという。美術館のスポンサーである川崎重工への抗議が行われたことでも話題となっていた。ぜんぶ見るのに3時間くらいかかり、へろへろになった。竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の前に立ったとき、なみだが出そうになった。奥にモネの《睡蓮、柳の反映》があり、手前にオーガンジーと糸でできたこの作品が吊るされている。モネの睡蓮は上半分が欠けてしまっているのだが、竹村の作品はそれを補うようにつくられている。なみだが出そうになったのは、単なる修復を超えたうつくしさ、過去の画家との協働のようなすがたに感動したのだと思う。

 山種美術館「花・flower・華 2024」。山種美術館にはじめて行ったのだけれど、とってもよかった。明治、大正、昭和、平成、時代の垣根を超えた花の作品が百花繚乱といったところ。いちばん好きだったのは速水御舟の《牡丹花(墨牡丹)》。うすいエメラルドグリーンのような緑と、墨の黒だけで表現された牡丹がめちゃくちゃかっこよかった。

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 国立新美術館マティス 自由なフォルム」、ワタリウム美術館「パーフェクト・カモフラージュ展」にも行ったのだけれど、ちょっと疲れてしまったので、また機会があれば書こうと思います。写真は、思わず撮ってしまった《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の展示のようす。