2025年7月のこと

 なにかを書きたいという気持ちはあれど、書くことを日常にできていないわたしは、書くことを目標にしたり、大きな情熱を持つものができたりしないと、書くことをつづけることができないらしい。社会人になってからは、プラス心の余裕がないと、書くこと以外もままならないと実感する。仕事が忙しかったり、プレッシャーが大きかったりすると、それ以外の時間は回復や生活に充てるだけで終わってしまう。

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 最近の参院選に関する話題と、夫とそのあたりの話をしたことから、自分じしんの考えを言語化する必要があると思い至り、本来はひとに見せなくたってよいのだがなぜかこうして公開している。

 ざっくりいうと夫は、他者をメリット/デメリットで判断するらしい。例えば、生活保護を受けている人は努力していないからそうなった、努力していないのだから、税金を使って保護する必要はない、メリットがない、と言う。わたしは、それに激しく反対の気持ちを持ったのだが、反論する根拠や材料がなく、感情の問題じゃん、と言われて終わってしまった。
 でもぜったいに違うと思った。その先にはひとりひとりの人間がいて、他者からの意味付けやメリット/デメリットで切り捨てられていいわけがない。
 彼の視点、かつ、メリット/デメリットの土俵に立てば、社会的弱者は切り捨て、より生産性がある立場の人々に保障なりをするのがメリットのように思える。でもよく考えれば、そもそもメリット/デメリットの土俵で語るべき問題ではない。しかしあのとき彼と話していたわたしは、メリット/デメリットの地平で戦おうとしてしまい、理由を見つけられなかった。その土俵には立たずに意見を述べるべきだったのだが、それができなかった。また語る材料を持たないことに気づき、不勉強を恥じた。

彼の意見はおおむね以下のようなことだった。
・生活保護を受けている人は努力していないからそうなった。努力していないのだから、税金を使って保護する必要はない。メリットがない。そういう人々じしんが努力をすればいい。
・人間以外の動物だったら弱い存在は切り捨てられるのだから、人間がおかしい。また海外でも手厚い社会保障をしている国ばかりではない。よって日本も社会的弱者を保護する施策は減らしたってかまわない。
・いまの年金受給者が年金を多くもらっていることに違和感はない。なぜなら、彼らは高度経済成長で身を粉にして働いてきたからである。努力した人々への報いはあるべきだ。

 ChatGPTの力も借り、違和感を掘り下げてみる。わたしはなぜ、これらの主張に反対の意見を持つのか。ChatGPTからは、人間の尊厳は条件付きではないから。人を人として尊重するには、"役に立つかどうか"で判断していけないという倫理的な直観があるから。というような回答が返ってきた。合っていそうである。
 わたしはこれまでに、人間の尊厳は条件付きではない、人はただ人として尊重されるべきだという思想を見てきた、学んできたからこのように思うのだと考えるが、では、どのような歴史的背景や思想があるのか。以下のような回答を得られた。

  1.  カントの倫理学:「目的としての人間」
     人間性を、決して単なる手段としてのみ用いるのではなく、常に同時に目的として扱わなければならない。人間はそれ自体として尊重されるべき「目的」である。
  2.  ホロコーストと「人権」の再定義
     第二次世界大戦(特にナチスによるホロコースト)は、「人間の価値を条件付きで決めた社会」が生んだ最大の悲劇。ユダヤ人、障がい者、LGBTQ、共産主義者など、「国家にとって役に立たない」とされた人々が抹殺された。その反省から生まれたのが、1948年の「世界人権宣言」。【世界人権宣言 第1条:すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である。】生産性・貢献度・国家の都合ではなく、「生まれた時点で尊厳がある」という明確に宣言している。
  3. ハンナ・アーレント:「権利を持つ権利」
     ホロコーストを逃れた政治思想家ハンナ・アーレントも、「人の役に立つかどうか」で命が選別された体験から、人権の根源について考察している。彼女は「人権とは、生きていることに基づいて持つべき“権利を持つ権利”である」と述べた。つまり、「国民だから」とか「生産できるから」ではなく、ただ「世界に存在している」ことが人権の根拠であるべきだ、という思想。
  4. 障害者権利運動:尊厳と生産性の分離
     近年の障害者運動や福祉思想でも、「人間の価値を“機能”で決めてはならない」という原則がある。たとえば、「障害者自立支援法」や国連の「障害者の権利に関する条約(2006)」は、「支援することにメリットがあるか」ではなく、「人間としての生の尊重」が中心にある。これは、「生産性に基づく価値判断」が社会的マジョリティによって押しつけられてきたことへの反発。
  5. 宗教的背景:キリスト教・仏教・イスラームの共通点
     世界の主要宗教でも、「無条件の尊厳」は繰り返し説かれている。
    ・キリスト教:「神の似姿として創られた人間」だから、すべての人は尊い(創世記1章27節)
    ・仏教:衆生はみな仏性を持つ(無差別な慈悲)
    ・イスラーム:アッラーのもとにすべての人間は平等であり尊厳を与えられている(クルアーン17章70節)
    これらはすべて、「人が人を上下に分けてよい」という思想への強い否定でもある。

 これも合っていそうである。人は人として尊重されるべきで、人間の価値を他人が判断してはいけないという主張に対する根拠はこれでいいだろう。
 次に考えたいのは、弱者を助ける必要があるのか、なぜ私たちは社会的弱者を救おうとするのか。自分が弱者になったときにも助けてもらえるように、という考えもありそうだが、それだけではないと思う。

  1. 宗教・思想による影響(倫理的理由)
    ・ キリスト教:「貧しい者への愛」
     西洋では、キリスト教が「貧しい人を助けることは神への奉仕」と教えてきた。中世ヨーロッパでは、教会が施し(チャリティ)を行う機関として機能していた
    ・仏教:「弱き者への慈悲」
     アジアでは、仏教が「すべての命に慈しみを持つべき」とし、困っている人を見捨てるのは悪であるとされた。江戸時代の寺社も、孤児や病人への保護活動をしていた例がある。
    → 人類は古くから“道徳的な行為”として、弱者救済を正当化してきた。
  2. 産業化と都市化による変化(制度的理由)
    ・近代以前:「地域・家族が支える」が基本
     昔の農村では、互助的な仕組み(ムラ社会)があり、共同体の中でなんとか助け合っていた。ただし、排除や差別も強く、「役に立たない」とされる人は見捨てられることもあった。
    ・ 近代以降:「個人化」と「都市化」の進行
    工業化・都市化が進むと、家族や地域が担っていた支援が崩壊。代わりに国家や自治体が「公的に」弱者を保護しなければならなくなった。
    → 社会の仕組みが変化した結果、「見捨てると自分たちに被害が及ぶ」状況が増えた。
  3. 社会契約・民主主義の発展(政治的理由)
    ・19世紀以降:「万人の権利」という思想
     フランス革命やアメリカ独立などを契機に、「すべての人に生きる権利がある」という考え方が広まる。国家は、その国民すべてを保護する責任がある、という考え方へ。
    ・ナショナルミニマム(国家最低保障)
     第二次世界大戦後、英国などで「最低限の生活は国家が保障すべき」という理念が打ち出される(例:ベヴァリッジ報告)。日本でも戦後、「生活保護法」が制定され、国家が国民の命を守るという制度が整備される。
    → 「国民は国家に守られるべき存在」=現代の民主主義国家の大前提。
  4. 実利的・社会安定のため(現実的理由)
    ・弱者を見捨てると治安が悪化する
    ホームレスや失業者が増えると、治安や公衆衛生に悪影響が出る。国家や自治体にとっては、支援の方が「コストが低い」場合も多い。
    ・「誰もが弱者になりうる」ことへの備え
    病気、事故、失業、家庭崩壊…多くの人は人生のどこかで「社会的弱者」になる可能性がある。そのときに支えられる仕組みがなければ、安心して生活できない。
    → 「他人のため」であると同時に、「自分の安心」のためでもある。
  5. 人間の共感・本能的な優しさ(本質的理由)
     社会的哺乳類である人間には、「共感」「助けたい」という感情が生得的に備わっている。幼児は本能的に、他者の痛みに反応して泣いたり、慰めたりする行動をとる。人間の進化においても、「助け合うグループが生き残った」という側面がある。
    → 「弱者を助ける」という行動は、むしろ“人間らしさ”の根幹にある。

 3.で、なぜ国家が保障すべきという考え方になったかわからずに追加で質問。以下のような思想や歴史の積み重ねがあり、人類が選んできた価値観ということだった。

 昔は国家や王は「神に選ばれた存在」とされ、民衆は支配される存在だった。しかし17世紀〜18世紀にかけて、ヨーロッパで「国家とは国民の合意で成り立つもの」=社会契約論が発生。ホッブズや、ロック、ルソーなど。「国家は国民のためにある」「国民の権利を守るのが国家の仕事だ」という思想の基盤となる。
 18世紀末のフランス革命やアメリカ独立戦争を通じて、「すべての人は平等で、権利を持っている」という思想が広まる。最初は言論の自由、信仰の自由など、国家が干渉しないことを求める自由権が中心。次に19世紀末〜20世紀、貧困・労働問題が深刻化し、働けない人も生きる権利があり最低限の生活ができなければ自由も意味がないことから、「国家は放っておかず、国民を助けるべき」という社会権の考えが出てくる。
 第二次世界大戦後、戦争と極端な排除主義を経て、「不平等や貧困が、戦争や差別を生む。もっと公正な社会をつくらないといけない」という反省から社会保障の政策が提案、支持されるようになった。

 ここまで生成AIの力を借りて歴史や思想を振り返ってみると、中学生や高校生の社会や倫理の授業で習ったことばかりだ。人文系の学問に意味がないという意見もあるが、やはり意味があると思う。自分が苦しいから、不公平を感じるから、差別や偏った思想が生まれるし支持してしまうのだと思うが、これまでの人類の歩みを知れば、誤りを繰り返してやっとここまできたことがわかる。
 ただ、わたしは自由に考えたり調べたりする時間があるからそう思うのだとも思う。恵まれている。世界では戦争も起きていて、ほんとうにその日生きるのに必死なひともいて、彼らに歴史や思想や、そこからくる理想をに耳を貸す余裕はないだろう。でもだからこそ、みんなが豊かになって学んだり考えたりできるようにすることが理想的な世界につながるのではないだろうか。
 だいぶ大きな話になってしまったが、もうひとつ大事なことがあると思っていて、それは想像力だ。夫の意見では、「努力していないから苦しいのであり、脱するためには個々人が努力すればよい」ということだが、想像力が足りないと思う。家庭環境や教育機会など、そもそも努力以前の前提がひとりひとりちがう。自分が想像できないようなこともある、ということを想像すべきだと思う。

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 考えをまとめるというより、生成AIを使って学んできたことの復習をしたログみたいになってしまった。でも、最近心のどこかでずっともやもやと考えていたことに道筋がつけられて少しすっきりした気がする。結論はないし、そのときの自分の境遇によっても思うことが変わってくるだろうから、ずっと考え続けることになることだけれど。

 参政党についてもすこし触れておく。エコーチェンバーやフィルターバブルという言葉があるように、わたしがXで見るポストは参政党に反対する意見ばかりだ。わたしは反対するのがが正しい意見だと思うが、逆もしかりなのだろう。SNSによる分断。人間は見たいものしか見ない。インターネットの発達やSNSの浸透が、分断を生む温床になってしまっている側面はあるだろう。
 排外主義や反移民から差別を助長するような姿勢、陰謀論や疑似科学への接近は、とても賛成できないし強く反対と言いたい。さっき書いたこととも重なるが、自分が苦しいから誰かのせいにしたいという感情の受け皿になってしまっているのだろう。でも誰かのせいにしても世界はよくならない。支持者には、耳触りのいい言葉にだまされないで考えてほしいと言いたい。

 世界は成熟してきたはずなのに、なぜ近年、分断や排外主義が勢力を強める世の中になってきているのか。富の偏在・格差、努力が報われていかない社会、という背景がぼんやり浮かぶが、それはまた今度考えたい。

 

 

2024年6月のこと

 先日、はじめて夫の祖母宅へ行ってきた。祖母宅があるのは長野県の諏訪のほう。長野にはほとんど行ったことがなく、長野に行くには長野新幹線に乗るものだと思っていたが、それは長野市方面へ行く場合のはなしで、東京から諏訪方面に行く場合は新宿から特急・あずさに乗るものなのだという。ということで、新宿まで出て、あずさに乗って移動した。
 あずさに乗った感想は、酔う、ということだ。山梨県や長野県のあたりは山が多いことからカーブも多く、そのカーブでなるべくスピードを落とさずに走るために車体を傾けて走るらしく、その揺れで酔うことが多いのだそうだ。夫はわたしが酔ってからそのことを教えてくれたのだが、はやめに教えてくれればよかったのに、そうしたら先に酔い止めを飲むなど対策ができたのに、と思わずはいられなかった。

 祖母宅に1泊した後、諏訪大社を訪れた。諏訪大社は4つの社に分かれており、諏訪湖の北側に春宮と秋宮、南側に前宮と本宮が位置している。春宮・秋宮は下社、前宮・本宮は上社と呼ばれ、上社と下社のあいだは15kmほど離れているため、すべてを徒歩でまわるのは難しい。事前にレンタカーを調べていたが予約でいっぱいだったため、下諏訪駅近くでレンタサイクルを借りて下社を見たあと、電車で茅野駅に移動し、またレンタサイクルを借りて上社を回るコースとなった。10時半くらいから16時くらいまでかかったと思う。
 最初は秋宮へ。どの社にも、拝殿の周りを4つの御柱が取り囲んでいるのが独特でおもしろい。あの有名な御柱祭で曳かれてきた柱なのだそうだ。拝殿の右に一之御柱、それから時計回りに二之御柱、三之御柱、四之御柱と並んでいて、一之御柱がいちばん大きく、四之御柱になるにつれて小さくなっている。秋宮は神楽殿のしめ縄が大きくて目立つ。拝殿の彫刻も美しい。

秋宮の拝殿。賽銭箱の奥、建物の中の鶴や竹の彫刻も美しかった。

 次は自転車で数分、春宮へ。こちらも拝殿の彫刻がかっこよかった。また、境内から朱塗りの橋を渡って奥へと歩いて行ったところにある万治の石仏も印象的だ。大きな石が体になっていて、頭はその上にちょこんと乗っていて、顔の表情もどこかユーモラス。岡本太郎も絶賛したという造形。仏像はけっこう好きだけれど、こういう雰囲気の仏像ははじめて見たので感動した。石仏へ至るまでの道は川が近く、流れる水の音や葉ずれの音がここちよかった。

春宮の拝殿

万治の石仏。緑に囲まれたよい場所に位置している。

 そのあとは下諏訪駅の近くでうなぎを食べようと思いお店の近くまで行ったのだが、駐輪場に止まっていたバイカー集団に「バイカーが18人もきたから売り切れになっちゃったよ」と言われてあきらめることになった。
 結局昼食は茅野駅に移動したのちに、駅の近くでそばを食べた。そしてまたレンタサイクルを借り前宮へ。秋宮と春宮は下諏訪駅から歩いても行けそうな距離にあるが、前宮と本宮は茅野駅から歩くと1時間弱くらいかかりそうな距離感だった。前宮は駐輪場から階段をけっこう登った先に位置しており、ちょっぴりつかれた。下社の拝殿の彫刻について触れたが、上社は下社とくらべて装飾が少なくシンプルなつくりだと感じた。すぐ横には「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる小川が流れており、さわってみると冷たい。

前宮の拝殿。シンプルですっきりとしたつくり。

 さいごにまた自転車にまたがり本宮へ。いちばん大きな敷地、建物だった。4つの御柱間の距離も離れていて、どこにあるのか探すのに苦労した。4社をめぐりながら御朱印も集めていたのだが、4社すべてを回ると記念品をもらうことができた。年によって記念品は変わっているそうで、2024年は巾着袋であった。さっそく御朱印帳を入れる袋として使うことに。夫はこれまで御朱印には興味がなさそうだったが、今回を期にはじめることとしたらしい。

 本宮の近くにはお土産屋さんや食べ物屋さんなどがあり、ふらふらと見て歩いた。少しおなかも空いており、また長野にきたらおやきを食べたいと思っていたので、野沢菜のおやきを食べられて満足。また干しきくらげや干し山くらげも安かったので買いもとめた。山くらげは夫が料理してくれたのだが、こりこりした食感が好みである。

本宮の鳥居

記念品の巾着。去年はがま口だったらしい。

 というわけで諏訪大社に行った記録。今回はめずらしく写真が多めになった。

2024年5月のこと

 今年はゆるやかに更新しよう、と思っていたら前回の更新からあっという間に2か月経ってしまった。読んでくれている友人が楽しみにしている、と言ってくれたので、やっぱり月に1回くらいはなにか書きたいなと思ってはいる。しかし、前回結婚した、という話を書いたが、ひとり暮らしではなくなってからどうにも書きづらい。夫は構ってほしいタイプのひとで、家にいてもふたりでなにかをすることを好む。本など読みたいときには、これから2時間ほっといてくれ、と宣言してから読むのだが、文章を書くのはなんとなくやりづらい。理由はわからないけれど、彼に見られたり知られたりしたくないという気持ちがある(こんなことを書いてしまっては、なおさらになってしまう)。
 今日は、とくに予定はなかったのだが有給休暇を取得して、ひとり1日中出かけている。そして、めずらしくカフェでPCを開くなんてことをして、これを書いている。原宿の太田記念美術館で「月岡芳年 月百姿」を見て、タリーズでパスタを食べ、SOMPO美術館の「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」を見てきた。いまはアイスコーヒーをおともにベローチェに座っている。美術館のはしごはあたまもからだも疲れるのだが、今日みた展示はどちらも作品数が70点くらいだし、ひともそれほど多くなくゆったりと見ることができたし、あいだに休憩もはさめたし、疲れより充実感のほうがつよい。どちらの美術館もそれほど大きくはないのだが、落ちついて見ることができることが多くて好きだ。

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 ここで最近行った展覧会を振り返ってみようと思う。
 まずは麻布台ヒルズギャラリー「オラファー・エリアソン展」。オラファー・エリアソンは、たしか去年国立新美術館で開催されていたテート美術館展ではじめて知って、気になっていた。特に印象にのこっているのは、《瞬間の家》というインスタレーション作品。天井から何本かのホースが吊り下げられていて、そこからいきおいよく水が噴き出している。ホースは支えもなく垂れ下がっているだけなので、水の勢いに合わせて絶え間なくかたちを変えている。同時に噴き出た水も常に動きまわっている。展示空間は暗いのだが、つよい光が明滅しており、わたしたちは光っている瞬間だけ水のかたちを見ることができる。水はそのときだけ固定されたように目に飛び込んできて、そのかたちを見ることができるのはその一瞬だけ。それがとてもドラマチックで、非日常を体験させてくれて好きだった。いつまでも見ていたくて、しばらくさまざまな水のかたちを眺めていたと思う。ほかの作品やアーティストが話している映像などを見て、彼は作品をつくる準備をして、仕上げは自然のちからに任せていて、自然と協働して作品をつくっている/つくりたいと思っているのだなと思った。

 東京都美術館「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵」では、アメリカの印象派と呼ばれる画家たちの作品をはじめてちゃんと認識して見て、めちゃくちゃいいじゃん!と思った。とくに好きだったのは、チャイルド・ハッサムの《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》。何が、と考えてもぜんぜんことばが出てこないのだけれど、絵の前に立った瞬間、好きだと思った。ブルーのガウンの女性と黄色いチューリップの色合いがいいなあとか、静かな空気感がいいなあとか思うんだけれど、なにかわからぬ引力を感じた作品。〈窓〉シリーズのなかの1つということなので、ほかの作品も見てみたい。モネやルノワールなどいわゆる印象派の画家の作品も展示されていて、ウスターの《睡蓮》も美しかった。

 国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は、国立西洋美術館としてはじめての現代アートの展示だという。美術館のスポンサーである川崎重工への抗議が行われたことでも話題となっていた。ぜんぶ見るのに3時間くらいかかり、へろへろになった。竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の前に立ったとき、なみだが出そうになった。奥にモネの《睡蓮、柳の反映》があり、手前にオーガンジーと糸でできたこの作品が吊るされている。モネの睡蓮は上半分が欠けてしまっているのだが、竹村の作品はそれを補うようにつくられている。なみだが出そうになったのは、単なる修復を超えたうつくしさ、過去の画家との協働のようなすがたに感動したのだと思う。

 山種美術館「花・flower・華 2024」。山種美術館にはじめて行ったのだけれど、とってもよかった。明治、大正、昭和、平成、時代の垣根を超えた花の作品が百花繚乱といったところ。いちばん好きだったのは速水御舟の《牡丹花(墨牡丹)》。うすいエメラルドグリーンのような緑と、墨の黒だけで表現された牡丹がめちゃくちゃかっこよかった。

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 国立新美術館「マティス 自由なフォルム」、ワタリウム美術館「パーフェクト・カモフラージュ展」にも行ったのだけれど、ちょっと疲れてしまったので、また機会があれば書こうと思います。写真は、思わず撮ってしまった《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》の展示のようす。

 

2024年2月のこと

 2024年2月29日、うるう日に入籍した。まだいっしょには住んでいないこともあるかもしれないが、どうも実感がわかない。新しい姓と名前がならぶ文字面に違和感がある。まだいっしょには住んでいないし、変わったことといえば、左手薬指に常にゆびわをはめるようになったことくらいか。これまでは3人称を「彼氏」と言っていたが、「夫」などと言うことになるのだが、気恥ずかしくて口に出せていない。

 会社の先輩などに結婚をしたことを報告すると、たいてい子どもはどうするかと聞かれる。夫とかるく話した際には、彼は子がほしいと言っていた。正直わたしは、これまで子どもをかわいいと思ったことがないし、自分の子がほしいと思ったこともない。結婚したいとは思っていないけれど子がほしいと言っていた友人もおり、子に関するきもちはさまざまだ。もっと正直に言えば、結婚願望もそれほどなかった。夫のことはすきだけれど一抹の不安もあり、まあ無理だったならひとりに戻ったっていい(もしひとりになったら、さみしいとかかなしいとか言い出すだろうが)。
 だが、子どもとなるとそういうわけにもいかない、と思う。なんてったって、命であるし、少なくとも20年くらいは世話をする必要がある。気持ちのうえでも、お金のうえでもそうだ。自分たちの生活も変わる。子を持たない人生と、子を持つ人生をくらべたときに、子を持つ人生のほうが、みずからの経験としてはいいかなと思うが、そんな自分本位の気持ちで命を生みだしていいのだろうか。また親は孫をのぞんでいるだろうし見せてよろこばせたい気持ちもある。どう選択すればいいのか、わからない。

 不安な理由はいくつかある。大きな話から言えば、これからの社会は先行き不安だと感じる。じぶんが死ぬまでだって不安なのに、その先を生きるひとのことを考えるともっと不安だ。生活していける給料がもらえる仕事をつづけていけるのか、仕事を終えたときに年金はもらえるのか。海を隔てた国では戦争も起きているが、おなじような状況になったり、そのあおりを受けて不安定な社会になったりしないのか。はっきりと何が、とは言えないが、社会はいい方向に変わっていくようには思えない。なにも行動に移さないで安全な場所から不安だと言っているだけの自分に嫌気もさすが、ここでは措いておかせてほしい。

 つぎに、夫と子を育てることについて。知り合いとあそぶときに、子どももいっしょになるときがあるのだが、夫は面倒見がいい。すぐになつかれて、知り合いたちからも面倒見がいいという評価を受けている。だが、それは身内でないからなんだろうなと思う。彼は身内の人間にはきびしいタイプだ。一定の基準があり、それに達しないにんげんには何を言ってもいいと思っている。と感じる。みずからも怒鳴られたり手をあげられたりしたことがあったと言うが、わたしはそれは正しくないと思っていて、そのギャップが不安だ。互いに納得するポイントまで譲歩しあう必要があるが、身内の人間にはきびしいタイプ、というのはわたしに対してもそうなので、それなりに議論ができなければ言い負かされておわってしまう。よくないとは思っているが、じぶんひとりであればある程度はがまんというか、自分があわせればいいやと思ってしまうのだが、子となればそういうわけにもいかないだろう。口で話すのはとくいでないのだが、どうしたものだろうか。

 さいごに、わたしはわたしが嫌いなので、その血を引いた子も自分のことを嫌いになるような性格に生まれてしまうのではないかと不安だ。両親はわたしをかわいいと言い、どちらかといえば、蝶よ花よと育てられたと思う。また父も母も、わたしがみる限りでは、みずからがみずからのことを好きでいるように思う。それなのに自分は自分が嫌いだ。顔もかわいくないし、やせてもいないし、自分のことを好きでもいられない性格だし。周りのひとたちはそんなことないと言ってくれる。客観的に見れば、たぶん、それほど卑下するような人間ではない。でもわたしはわたしのことが好きになれず、ここからふっといなくなってぜんぶおしまいになって、でも周りのひとびとのなかにはわたしがいなくなったらかなしいひともいるだろうから、ひとびとの記憶はわたしがいない体で書きかわったりどうにかなってしまえばいいのになと思うことがある。自分が思っている分にはそれなりに生きていくかとあきらめもつくが、もし友人などがそんなことを思っていたらかなしい。よって、こんな思考になってしまうにんげんの子も似たような思考になる可能性があるのであれば、じぶんの遺伝子をもった子を生みたくはない。

 冒頭では結婚した、というあかるい話をしたはずなのに、思いがけずくらい話になってしまった。いまは好きに仕事をしているが、両立できるのかどうかも不安だ。写真は、ひとり暮らしの家のなぞのスペース。ひろい机みたいになっていて、いま思えばけっこう好きな空間だった。



2024年1月のこと

 かなり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。1月、あっという間に終わっていました。平日は仕事、休日は引っ越し先を探したり、契約を進めたり、新年会で遅くまで飲んで土曜日がつぶれたり、していました。

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 どこかの回で、鑑賞した本と映画の数について話したと思うので、2023年の結果も書いておこうと思う。結果は、本13冊、映画4本、合計17作品。過去3年は26、27、25だったことからすると、だいぶ減ってしまった。一昨年あたりからYouTubeにハマってしまったのが、減った原因のひとつであるように思う。
 自由に使える時間は有限だが、観たいコンテンツ、聴きたいコンテンツはほぼ無限に存在する。そして、時間は有限だと理解しているつもりでも、楽なコンテンツに流れてしまうように思う。たとえば家にいるとき、Twitterをひらいてタイムラインを眺めたり、iPadでYouTubeを見ながらiPhoneでゲームのデイリーミッションをこなしたり、アプリで漫画を読んだりしているうちに30分以上経ってしまうことがよくある。自分は本を読みたいと思っている(と信じたい)のに、SNSや動画やスマホゲームに比べると、本を開くまでに時間がかかってしまっている。そのせいかわからないが、ずっと思考が浅いまま日々を過ごしている気がする。
 どういう人になりたいかとか、どういう人生にしたいかとか、そのためにはどうすべきかとか、もっと考えなければいけないことはたくさんある気がするのに、流れるコンテンツを消費することで時間を埋めてしまっている。文學界2023年10月号、国分功一郎と若林正恭の対談では、暇(スコレー)を持つことで、考えたり調べたりする時間が生まれ、その過程の先に民主主義の実現があるというようなことを言っていた。暇があれば経済や哲学を考えたり学んだりして、現状がなにかおかしいことに気付いてしまうから、人々を支配したい企業や政府は暇を作らせない方向に進む。そして今の若い人は暇な時間をネットなどのエンタメで埋めてしまう傾向にあり、それは暇に慣れていないからだという。
 なにもしない時間が落ち着かずただスマホを見てしまい、考える時間というのがなくなり、結果ほんとうに自分がやりたいことがわからなくなって、なにかに追われているような気持ちになっているのが、今の状態という気がする。いまこの考えて書いている時間は、暇を暇として享受できているのではないかと思った。
 くまのプーさんじゃないけれど、なにもしないをする時間を持つようにしてみたい。音楽も聞かずにただ散歩するとか、ゆっくり湯舟につかるとか、テレビなどを付けないでごはんを食べるとか、目的のない時間を過ごしたい。

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 ちょっと前の花はチューリップ。東京はぜんぜん寒くならなくて、冬もきていないのにもう春がきてしまうような、へんなかんじ。ちなみに推しているYouTuberはQuizKnock。賢いひとびとが賢いことをやっていたり、くだらないようなことを真面目にやっていたりとおもしろいので、みなさんぜひ見ましょう。

 

2023年12月のこと

 2023年1月、1か月にいちどはブログを更新するという目標を掲げて、今回で12回目、目標達成といえる。途中、書けなかった月もあったが、10月と11月に2回ずつ書いて、あわせて12回書くことができた。12月の分はほんとうはもっと年末に、今年のふりかえりも兼ねてかくほうがよいと思うのだが、休日はすでに予定がはいっていたり、平日は書く気になれなさそうだったりするので、今年の更新はこれでさいごになると思う。来年どうするかはまた考えることにする。週に5日の仕事と、2日の休日をただ過ごしていると、文章を書くのは仕事のメールだったり資料だったりばかりになってしまうので、たまには気のむくまま文章をつらねていくのもわるくないというのがこの1年の感想だ。とはいえ、そんな日常では書くこともそれほどなくて、いつもパソコンに向かっては、いったいなにを書こうか、と悩んでいたのであった。

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 去年の今ごろは、仕事がいやでいやで、転職しようとさえ考えていたと思う。そこから異動して今はと言えば、おだやかすぎて逆に心配になっている。量もたいして多くないし、質もそれほど難易度が高くない。と思う。受け身な姿勢かもしれないが、もっと指摘なり助言なりをしてほしいと感じる。そこそこうまくやっているのだとは思うが、よくないところがないというわけではあるまい。もう新人というわけではないがまだ若手かなと思っているけれど、それを上司や先輩に求めるのはまちがいなのだろうか?彼らも忙しい身であるので、部下や後輩にいちいちアドバイスしていられないのだろうことはわかる。ただ先輩はともかく上司は、部下を育成することも業務のひとつなのではないのだろうか。
 次年度は異動することはなさそうなので、いまの部署でどうすれば成長できるか、考えて過ごさないといけないなと思う(仕事で「成長」なんて言うと暑苦しい気がするけれど、ほかにいいことばが見当たらなかった)。

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 来年は、プライベートでは変化のある年になる。気づけば付き合いはじめて5年、プロポーズされてから1年も経った恋人と、とうとう籍を入れることになる予定だからだ。いまは遠距離だけれど、3月くらいからはいっしょに住みはじめる。いっしょに住んでいたこともあるので、生活に関してはあまり心配していないが、いちどは別れようと思ったこともあるので、長い目で見たときのじぶんのきもちのほうが心配である。仕事がきびしいひとなので、あのときは同じ職場だったから嫌になったのだと信じたい。
 このように書くと不安なように見えるが、さいきんは家を探したり、指輪を買いに行ったりすることをたのしんでいる。いっしょに住むことがたのしみ。

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 ふと今思ったが、こうしてじぶんの話ばかりしているからブログに書くことがなくなるのだろうか。来年も続けるなら、読んだ本とか、見に行った展覧会とか映画とか、そういうものごとのことも書くようにしようかな。
 少し早いですが、読んでくれたみなさま、よいお年を。

今週の花。冬っぽい見た目。

 

旅行と方言のこと

 先日、家族と恋人と岡崎・伊勢へ旅行をした。岡崎は、母が「どうする家康」を見ており、その舞台のひとつである岡崎城を訪れたいと希望したため。もともと歴史に興味がうすい母だが、榊原康政を演じる杉野遥亮のファンであることをきっかけに「どうする家康」を見はじめた。伊勢は、何年か前に家族旅行で訪れたものの、お伊勢さんマラソンにより内宮に行くことができなかったため、再訪することとなった。

訪れた際の岡崎城

 わたしの実家は仙台なのだが、仙台といっても田舎、海のほうにあり、父は訛りの強いほうだ。地元ではたらいているからか、弟も訛りが強くなってきている。母もそれなりに訛っているし、わたしも家族と話しているとつられて濁音が多くなる。いつもなら「あそこにいた」というものを、「あそこ さ いだ」などと無意識に言っていることに気づいた。そんな家族の会話に放り込まれた関東出身の恋人は、ときどき困惑していたが、教えてもらって意味がわかるとたのしそうにもしていた。

 仙台弁(と括っていいものかわからないが、わかりやすいのでこう呼ぶことにする)の中には、標準語(こちらもこう呼んでいいのかわからないが、ここではこう呼ぶ)と単語は同じだが意味がちがうものがあり、それがよく使うものだったりする。知らない単語よりも、知っているけど意味がちがう単語のほうがむずかしいと、恋人は言っていた。旅行中に話題になったのは、「だから」、「いき(ぎ)なり」、「なげる」あたりだろうか。わたしもある程度の年齢までは、方言と知らずに使っていたと思う。大学生になるときには、さまざまな出身のひとが集まってくるため、伝わらない可能性があるから使わないように気をつけていた。
 「だから」は同意。「そうだよね」と同じ。ただ標準語では、他人の発言に対して「だから」と言ったら「だから何?」の意味になってしまう。「んだがら」などといかにも方言のように発音されればまだわかりやすいのだと思うが、「だから~!」などと言われると混乱するのだと思う。これは若い人でも使っているという感覚がある。
 「いき(ぎ)なり」は、旅行中に頻出していた。「急に」の意ではなく、「とても」の意。よく考えれば「すごい」、「めっちゃ」などと言うことが多いのだから、同じ意味の「いきなり」も頻出するのは当たり前か。ただ、「急に」のときも「いきなり」なので、「いきなり雨が降ってきた」になると、どちらの意味なのかは文脈がないとわからない。
 「なげる」は気づいたらわたしも発していておどろいた。「捨てる」の意味。

 「どけて」は、伊勢の旅館で母が弟に言ったことば。夕食のあとに部屋で飲んでいるときに、弟がふたつの布団にまたがって寝そべっていたのだが、じぶんの布団を使いたかった母が、弟に向けて言った。わたしには違和感がなかったのだが、恋人が不思議そうなかおをしていたので尋ねると、「どけて」とは言わず、「どいて」と言う、「どけて」と言われたら何をどけてほしいんだろうと思う、とのこと。たしかにそうかもしれない。この場合の「どけて」は弟が移動してほしいという意味、つまり「どける」と「どく」を区別せず使っている。ものを移動させるのも、ひとを移動させるのも同じ語彙。
 また、「こいつ」「そいつ」「あいつ」「どいつ」を、ものにも使うことに気づかされた。「そいづ/あいづとってけろ」と言えば、「それ/あれをとって」のことだし、「こいづうめえな」と言えば「これおいしい」のことだし、「おれのどいづや?」といえば「おれのはどれ?」ということになる。
 「どく/どける」にしろ、「これ/こいつ」にしろ、恋人からの指摘がなければ気づかなかった。仙台弁(少なくともわたしの家族のなか)では、違和感のない言い方。このふたつの事象から、仙台弁はひとともののあいだが曖昧なのだろうか、などと考えていた。「だれ」が「なに」と同じく感嘆詞として使われることもある。国語学を専攻していたが方言は専門としていなかったので、あまり明るくないことが悔やまれる。というか、すでにこんなことは指摘されていることなのかもしれない。ただ、実際の体験を通してそう思えたことが、なんとなくたのしかった。