2024年1月のこと

 かなり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。1月、あっという間に終わっていました。平日は仕事、休日は引っ越し先を探したり、契約を進めたり、新年会で遅くまで飲んで土曜日がつぶれたり、していました。

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 どこかの回で、鑑賞した本と映画の数について話したと思うので、2023年の結果も書いておこうと思う。結果は、本13冊、映画4本、合計17作品。過去3年は26、27、25だったことからすると、だいぶ減ってしまった。一昨年あたりからYouTubeにハマってしまったのが、減った原因のひとつであるように思う。
 自由に使える時間は有限だが、観たいコンテンツ、聴きたいコンテンツはほぼ無限に存在する。そして、時間は有限だと理解しているつもりでも、楽なコンテンツに流れてしまうように思う。たとえば家にいるとき、Twitterをひらいてタイムラインを眺めたり、iPadYouTubeを見ながらiPhoneでゲームのデイリーミッションをこなしたり、アプリで漫画を読んだりしているうちに30分以上経ってしまうことがよくある。自分は本を読みたいと思っている(と信じたい)のに、SNSや動画やスマホゲームに比べると、本を開くまでに時間がかかってしまっている。そのせいかわからないが、ずっと思考が浅いまま日々を過ごしている気がする。
 どういう人になりたいかとか、どういう人生にしたいかとか、そのためにはどうすべきかとか、もっと考えなければいけないことはたくさんある気がするのに、流れるコンテンツを消費することで時間を埋めてしまっている。文學界2023年10月号、国分功一郎と若林正恭の対談では、暇(スコレー)を持つことで、考えたり調べたりする時間が生まれ、その過程の先に民主主義の実現があるというようなことを言っていた。暇があれば経済や哲学を考えたり学んだりして、現状がなにかおかしいことに気付いてしまうから、人々を支配したい企業や政府は暇を作らせない方向に進む。そして今の若い人は暇な時間をネットなどのエンタメで埋めてしまう傾向にあり、それは暇に慣れていないからだという。
 なにもしない時間が落ち着かずただスマホを見てしまい、考える時間というのがなくなり、結果ほんとうに自分がやりたいことがわからなくなって、なにかに追われているような気持ちになっているのが、今の状態という気がする。いまこの考えて書いている時間は、暇を暇として享受できているのではないかと思った。
 くまのプーさんじゃないけれど、なにもしないをする時間を持つようにしてみたい。音楽も聞かずにただ散歩するとか、ゆっくり湯舟につかるとか、テレビなどを付けないでごはんを食べるとか、目的のない時間を過ごしたい。

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 ちょっと前の花はチューリップ。東京はぜんぜん寒くならなくて、冬もきていないのにもう春がきてしまうような、へんなかんじ。ちなみに推しているYouTuberはQuizKnock。賢いひとびとが賢いことをやっていたり、くだらないようなことを真面目にやっていたりとおもしろいので、みなさんぜひ見ましょう。