2023年11月のこと

 さいきん、なんとなく調子がわるい。まえと変わらず寝ているはずなのに帰りの電車でうとうとするくらいねむかったり、土日は気を抜くと半日くらいTwitter(いまはXか)やInstagramをながめてすごしてしまったり。じぶんの中では後者のほうが心配。休日は読書やら美術館に行くやら、やりたいことがたくさんあるはずなんだけれど。原因のひとつは、金曜日のよるについつい飲みすぎてしまって、翌日動きたくなくなっていることだと思う。だんだんお酒がよわくなっている気がする。
 よわくなっている気がするのに量を控えられないのはなぜなのか。わたしはふつか酔いにはなるが、当日にあたまが痛くなったりきもちわるくなったりすることが少ない。ゆえに、ついつい翌日にもちこしてしまう量をこえてしまう、のだと思う。ふつか酔いになってから2週間くらいは、理性がはたらいて量をセーブすることができるのだが、それ以降はそのきもちを忘れてしまって……のくりかえし。
 また、ひとと電話しながら飲んでいるとき(恋人と遠距離なので、電話することが多い)、手元があそんでしまって、ついついお酒やたばこに手がのびて量がふえていることに気がついた。ひとりで飲んでいたはずなのに翌日しんどい思いをすると、ひとりで飲んでいるのに飲みすぎるなんて、自分はなんて馬鹿なのだろう……と惨憺たるきもちになる。気づいたので、なにか手慰みになるようなものを用意しておきたいところだ。
 酒とのつきあいが下手という話になってしまった。とくに書く内容を決めずに書きはじめているので、まっさきに出てくるということはわりと悩んでいることなのかなと思う。酒を飲むようになって、母に「酒は飲んでも飲まれるな」と言われたが、いまは完全に飲まれている。父が飲まれるタイプ、母は飲まれないタイプなので、わたしが父のようにならないように言ってくれたのだろうと思う。気をつける。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 よきものになりたい、いつかはよきものになれるように暮らしていきたい、という思いがわたしの奥底にある。川上弘美の言っていた「よきもの」。いまの生活態度は、よきものから外れているなと思う。
 「よきもの」という言葉ばかりがあたまにあって、どの小説のどんな文脈で出てくるのか忘れてしまっていたが、調べてみたら『いとしい』のさいごのほうだった。「川上弘美 よきもの」と調べてわかるのだから、インターネットの力ってすごい。『いとしい』は本棚のいちばん表側(川上弘美の本は、すべていちばん表側にならんでいる)に文庫のものがあったので手にとってみる。裏のあらすじを読んでみるが、まったく内容をおぼえていなくておどろく。次に、読書の記録をつけているノートを開いてみる。2016年7月に読了したとの記録があるので、どうやら読んだことがあるようだ。
 ここで、再読したいけれど時間がないな、と思った。ほんとうに?もちろん、学生のころよりは趣味にさける時間が減っているのはたしか。文系の暇な大学生だったわたしは、そこそこあった空きコマの時間をほとんど読書に充てていたように思う。仕事には空きコマはないし、あっても読書をしてよい時間にはならない。でも、時間がないと思うのは、自由な時間があるかどうかだけではない気がする。XやInstagramなどのSNSYouTubeのような動画サイト、漫画アプリなど、てばやくたのしめるものが増えていて、それらはスマホなど手に取りやすいものからアクセスできて、さくっと楽しめてしまう。時間がないと言いつつも、スナック菓子をつまむようにそれらをたのしんでいる。しかも延々とおすすめが流れてきて、かんたんに時間がすぎていってしまうのだ。
 「よきもの」になるためにも、『いとしい』を再読するためにも、そういったものとはよい距離感でいたい。(まったく見ないようにする、というのはなかなか難しいと思う。)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 画像は今週の花。きれいな色。