身も世もない

はじめて自分でホームページをつくったのは中学生のとき。手をかえ品をかえ、高校、大学とちょこちょこ文章を書いたりやめたりしてきたけれど、わたしはやっぱり文章を書くのがすきのだとおもう。

いま、会社でなぜかみじかい論文を書かされていて、パソコンに打ちこむのははやくなったけれど、文章を書くのがへたくそになったなとおもったのもあって、こうしてまた文章をおく場所をつくってみた。

これもいつまでつづくのかわかったものじゃないけれど、気ままに書いていこうとおもう。これまでは携帯から文章を打っていたけれど、今回はパソコンから打ちこんでいる。IT業界に足をつっこんでしまったからか、単に社会人になったからか、ブラインドタッチもできるようになってきて、打つのがとてもはやくなった。去年、あせって書いていた卒論も、これくらいはやく書けたら、もっと考える時間がふやせたのかも。

 

わたしは川上弘美の書く小説がとてもすきなのだけれど、その中のひとびとはよく「身も世もない恋」をしている。わたしの人生のなかでも「身も世もない恋」と呼べるものがたしかにあって、それはいまも尾をひいている。

出会って5年目になろうか。こいびとであったのは2年半。1年目はおいかけて、そこからなんとかこいびとの関係に持ちこみ、さよならをしてからも、なにかとあのひとのことをおもってしまう。もういいかな、とおもってもやっぱりだめで、のくり返し。お、今回はほんとうにもういいぞ、とおもっても、3日くらいたつと、まただめになっている。いまは、もういいかな、の時期。

わたしたちは変なバランスで成り立っていた。どちらかがぞっこんになると、もう片方は余裕ぶってしまって、シーソーみたいだった。それは別れてからもおなじで、戻りたいな、とおもうとつんつんされて、じゃあもういい!とおもうと、むこうがすりよってきたり、している。

いまでも、わたしが人生で出会ったひとびとの中で、1,2を争うほどのだいじなひとだとおもう。もちろん血がつながっている親戚だの家族だのはのぞいて。このひとがいなかったら今のわたしはなかったな、ランキングの1位か2位かを争っているとも思う。さまざまなひとから、あんなやつ、やめちまえ!と言われることも多く、わたしも客観的に見たらそうおもうのかもしれないけれど、おもしろくて、かわいいひとだ。

 

そんな彼に、先日、酔っぱらってでんわをかけ、もうおまえのことなんかどうでもいい、とまくしたてたようだ。なぜ「ようだ」なのかといえば、したたかに酔っぱらっており、内容をおぼえていないからである。ふつかよいのあたまでiPhoneをひらくと、送ったメッセージにそんな旨のことが書かれていた。また、その日はもうやつのことがどうでもよくなってきた、と思っていたところでもあった。しかし、そこで連絡を断つことができないのがわたしの甘さである。ぜんぜんおぼえてない、ご迷惑おかけしました。と、気づいたら送っていた。その日の夜になって、結局ふつうのやりとりをしていたじぶんにあきれる。

なにかを失うことは、かならず痛みをともなうことなのだとおもう。その痛みがいやで、いままでずるずると寄りかかっていた。でも、ほんとうに失ってはならないひとなのではないかという思いもある。わたしはどうしたいのか。ここ1年、考えてもこたえのでない問いをつづけている。