わたしと美術館

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美術館に行くことも、すきだ。さいきんはあまり描いていないが、もともと絵を描くのがすき、ということも関係あるとおもう。

じぶんの意志ではじめて美術館に行ったのは、高校生のころ、フェルメール展であった。フェルメールとはどのような画家なのかよく知らなかったが、まじまじと見つめて、絵のなかにもものがたりがあるのだな、この手紙を読むおんなのひとは、なにを考えているのだろう、と思ったりしていた。何人かおなじ展覧会に行った友人がいたが、みなばらばらに行き、すきにたのしんでいたということも、おぼえている。

大学生になり、なんと美術館が家から徒歩15分、自転車で5分、おまけに大学の目と鼻の先、という立地にあった。さいわいひまな大学生であったので、講義のあいまにふらりと美術館をおとなうことができた。平日のひるま、しかもいち地方都市であったので、わりあいに空いたなかで絵画を見ることができるというのは、ぜいたくなことであった。その近くには博物館もあり、高校生と大学生のあいだの春に見た、伊藤若冲はわすれられない。昨年東京でひらかれていたものは、あまりの行列に、ならぶ気がしょぼしょぼとうせていってしまった。あの緻密さとあざやかな色あいを、もう一度見てみたいものである。

もし、すきな画家は、と聞かれたら、わたしは、クロード・モネである、と答えるであろう。うつろう光や空気がうつくしく描かれる。彼のことをいつから知っていたかは、さだかではない。いつからか、印象派、という一派があることを知り、このましく思い、ひまな大学生という時間で、彼らの生涯や、どのような意識で絵を描いていたのか勉強してみたりした。原田マハ『ジヴェルニーの食卓』を読んだことも、もっと知りたいと思わせる要因になったのかもしれない。

夜行バスで行き、行った日の夜の夜行バスで帰るという、「弾丸東京美術館の旅」をしたことがある。モネの〈ラ・ジャポネーゼ〉、マネの〈笛を吹く少年〉を見たことをはっきりとおぼえている。どちらも、思ったよりおおきい。絵を美術館で見ることのたのしみのひとつは、そのおおきさにあると思う。本やネットの画像を見るだけでは、ぜったいにあじわうことができない。どの作品も、たいてい想像よりもおおきく、圧倒される。また、近づいてみると、絵具がもりあがり、筆のタッチを目にすることができることも、わたしはすきだ。とりわけマネやゴッホなどは、そのいきいきとした絵具のようすを見ることができ、とてもたのしい。ほんとうに描かれているんだな、というかんじがする。

今年東京にでてきて、行っても行っても行きたい展覧会がなくならず、ひまな週末がない。とくに世界遺産にもなった、国立西洋美術館なんかは、常設展示もたのしいので、企画展を見ておなかいっぱいになっているのに、ふらふらとひきよせられていってしまう。わたしのだいすきなモネ〈睡蓮〉のひとつがたいてい見られるので、お立ち寄りの際にはぜひ、見てほしい。さいきんは近代日本美術にも興味があって、どこかで時間を見つけて、勉強したいなとおもう。わたしにとっては、知識なしで美術館に行くよりも、ある程度時代背景やそのひとのことを知っていたほうがたのしいと感じるからだ。ますます週末の時間がなくなってしまう。たのしいことである。